NON STYLEとオードリーはテレビで消費されてしまうのか?

オードリーと、テレビのカタログ化と、人に飢えてる時代のテレビ|松野大介論

オードリーが使い捨てられること、ノンスタが使われもしないことを危惧する松野さん、オードリーに関してはもうはっきりとその兆候があるのは、僕も大きく気になっています、はっきりいって若林には、春日をバラエティの有象無象の群れの中で生かす腕というのは、確実に持っているんだけど、残念ながら今のテレビバラエティの構造が、猛獣が出てきた際に本来の相方の操縦を待たない構造になっていることは、非常に問題であると考えてしまう。特に若林があれだけの才覚がありながら、所在無さげにしているところを、この年末年始に多々見かけてしまったことを、僕は凄い心配しています。
またこれは去年のM-1が三回戦に差し掛かった頃に、心配していたことなんですが、「M-1でオードリーが活躍してスターになる」ということを前提に考えたときに、所属事務所のケイダッシュステージが、過去に育てた売れた芸人が、はなわ前田健原口あきまさといった、決して王道路線ではない人たちばかりということが、事務所的にこういうコンビを育てた経験の無さが出ないか、こういう王道を歩ませないと行けないコンビの、仕事の取捨選択がきちんと取れるか、ということは非常に心配な思いをしています。
そしてNON STYLEに関しても、全くその通りに思うのですが、ただ僕は「どうしてあの時代に、ウッチャンナンチャンダウンタウンはこういう扱いを受けなかったのか?」という事を考えたいんですよねえ、僕はノンスタは完全にダウンタウンウンナン型の、実力者であるが故に、いまあるテレビバラエティのフォーマットでは填らないというのは分かるんですよ、それは浜ちゃんは分かんないけど、松本人志ウンナンの三人は、確実にいまの雛壇に座らされたら、何の実力も発揮出来ないで終わるタイプなのは間違いないです。
そして80年代から90年代は、もちろん今のような雛壇バラエティというのは確立していなくても、似たようなものを経由しないとダメなテレビ界ではあったはず何です。そこから出てきたのが、ヒロミであり、中山秀征であり、勝俣州和だった。しかしダウンタウンウンナンを、その横で打ち出す仕組みも東京のテレビ界にはあったわけです。
そういう見識眼やそれを押し出すパワーが、東京のテレビ界には残っていないのか? ということが僕はNON STYLEがこれから売れるかの鍵になると思いますが、それが残っていたら僕がM-1決勝当日に思ったように、ノンスタは10年代のウンナンぐらいまでにはなれると思っています。世の中には下っ端からではなく、いきなり仕切りからさせなくてはいけないタイプの芸人はいる。

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