「テレビはヤンキーとファンシー」という定期的に起こるあの話

テレビとはヤンキーの心を掴むこと - お笑い芸人のちょっとヒヒ話

まあでも「世の中の多くは、ヤンキーとファンシーで出来上がっていて、そしてその多くは重なり合っている」「日本人の血からヤンキーとファンシーは絶対に消えない」なんてことは、ナンシー関根本敬を始めとして延々と言われているわけだから、何をいまさらな話ではあるんですよね。水道橋博士は、これは太田光伊集院光もそうだけど、少しインテリ贔屓というのが入るだけで、基本的に知的ヤンキー路線だと思うから、前提の議論は全て理解出来るんだけど、ブクマのコメントも含めて、結論は大いに疑問が残ってしまう。あとブクマの方は実際のヤンキーと、ヤンキー文化のアイコンとしてのヤンキーを混同している、頭の悪い感想が多いのも萎える。
まあでもダイノジの方の番組で大谷が言ってる話も、博士の方の番組の話も、この15年ぐらい延々と聞いている話だよなあ、目新しいことは何もないですし、博士はもちろん、ブクマで言われている伊集院がそっち側じゃないという話にも、僕は疑問を持っています。
とりあえず90年代後半から、このゼロ年代(っていうんだけ?)にかけて、ナンシー関の焼き直しのようなテレビ論が、堂々とまかり通っていて、それを繰り返しているだけの連中が持て囃されているのは、僕は大谷も博士も大好きだけれど、それだけは本当にどうにかしないといけないとは、日々思っております。