ゆうきまさみ版『パトレイバー』の企画七課と内海課長のヤバさについて改めて考える

「内海が理想の上司になる社会の危うさ」という拙エントリーが、久し振りに多数の方のお目を汚すことになりましたが、
文中で話題に出したマンガ夜話の時に内海の末路については、番組を受けてゆうき先生本人が、某競馬掲示板で語っていたやり取りがあるんだけど、誰かアーカイヴ化していないのかと強く思って探している。ということをつぶやいたら、アーカイヴしていた人がいました。

ゆうきまさみが「内海課長」について語った言葉(昔、どこかの掲示板で)。 - 見えない道場本舗

>よっこいしょ 投稿者:ゆうきまさみ  投稿日:11月15日(月)02時31分59秒
と、遅ればせながらリングに上がってみましたが、年齢が年齢だけに結構しんどいです。
えーと、マンガ夜話に関してですが、自作の解説はやろうと思うといくらでも長くなって、仕事が進まなくなるので勘弁して下さい。
ただ一点、「脱オタク」を目指すというほどの意識は当時なかったと思いますが、内海は明らかに自分の中から出てきたキャラクターですから、これに一本釘を打ち込んでおくのは社会の中で生きて行く自分のためでもあるかと。結果的に岡田氏が言うような作品になったということです。
∀ガンダム
ニュータイプや聖戦士のような存在を導入することに富野監督が躊躇したのは、「選ばれし者」とでも言うべき概念(SF、ファンタジー系まんがやアニメを見続けるとこれを大量に浴び続けることになります)を、オウムや何やらが明らかに歪んだ形で継承しつつあることを危惧するからでしょう。本来はいびつなエリート意識を「ジオン公国の敗北」によって否定したはずなのに、そのための仕掛であった「ニュータイプ」が抜け道になってしまったという事実は、かなり監督にはショックだったのではないでしょうか(たしか監督御本人が、そのようなことをどこかで語っていたかと記憶しています)。こんなモノ、浴びる側の自己責任と言ってしまえばそれまでなのですが、それを言い訳にして大量に吐き出し続ける側の責任はいかがなものか、と監督は考えたのでしょう。実はこういう危惧は私にもありまして、「パトレイバー」で私が肯定的に描いた大人の世間知も、更に肯定的に描くような作品が増え、万が一小林よしのり的「公(おおやけ)」の概念に組み込まれて、個人の自由と責任を過度に圧迫するようなことがあれば、今度はそれを否定することになるだろう、と漠然と思っています。
で、ニュータイプや聖戦士が出てこなくとも「∀ガンダム」は面白いです。
ああ、なんでこんなことを長々と……エリザベス女王杯はヒシピナクルを軸にして縦目で爆沈しましたが(後になって何故フサイチエアデールを軸にしなかったのかと悔やんでいます。スティンガーと二度に渡って好勝負、秋華賞でも強い競馬をしていて、人にはこの馬は強いよと言っていたのに)、それはそれとしてメジロドーベルの顕彰はされてしかるべきだと思います、はい。
それではまた仕事に戻りますので、書き込みやってるのは内緒にしておいて下さい

ちなみにこのレスにおける∀ガンダムについて、ニュータイプや聖戦士のような存在を導入しなかった件の、元質問者は僕だったりする(笑)。

ゆうきまさみデビュー30年の年に、あらためて「内海課長」を考える。 - 見えない道場本舗

最初からいきなり横の話題になるのですが、自分の『プラネテス』の評価が下がったのは、ロックスミスというキャラとはなんの関係もないです。というか僕はこのキャラはほとんど印象に残っていない。僕がこの作品を嫌いになったのは、ハチマキが最初二巻かけて解決したというか、大人になる為の通過儀礼として書かれたことが、全部卓袱台ひっくり返されたことに腹が立ったから。僕自身は「ロックスミス問題」もロックスミスのキャラ造形も興味がないです。
プラネテス(1) (モーニングKC (735))
というかid:gryphonさんには申し訳ないけど、やっぱりこうして系譜として紹介されたボスキャラを比較すると、内海の異常さというか、異端さは際立っているなと改めて思いました。他の連中が自身の欲望に忠実という行動原理を、社会に対して影響を与える方面で活かそうとしているのに対して、内海のただ純粋に自己快楽だけであり、それがカリスマ性になってある種の人達を引きつけるというのは、やはりかなりヤバさの次元が違うように思える。そしてあの時代、確実に内海というボスキャラは現実的なリアリティがあった。

岡田斗司夫と「BSマンガ夜話」の出演者の語りを引用する形で論じておられるが、内海課長と、その人気に「危険さ」があるという議論のされ方は、少なくとも作者を含めての共通認識だったんですね。
昨日の夜エントリを立ち上げたけど1999年、「BSマンガ夜話」の直後に、作者本人がとあるインターネット掲示板に書いた感想(当時はこういうことは非常に珍しかった。それで保存していた。)でもそれについて触れているし、

同じ頃に南雲さんの中の人が、あるガンダム本のガンダムの女キャラの中の人の鼎談で、ハマーン・カーンの中の人として、ハマーンの人気に警鐘を鳴らしていたのを思い出した。そういうことの危うさについて、総括しておかないとという時代背景は合ったと思う。

id:toroneiさんは「内海は死んで報いを受けたけど、黒崎もシャフトの幹部も生き残ったラストに不満」と書いてらしたけど、僕は逆に、そこに倫理観とは別に「リアルだなぁ、こういうもやもや感が残るところが一筋縄ではいかないなぁ」と感心してました。まあ、「リアルな警察捜査を考えると、ホントはシャフト・企画七課の犯罪はあまり成立しない(すぐバレる)という指摘は以前からあり、「内海はコドモ」という造型はそういう危うい綱渡りを敢えてやっていることを説明する必要もあったんじゃないかと思っています。(あ、幹部の生き残りは仕方ない、とは既に書かれてますね)

僕はシャフトの幹部が残ったのはリアルと書いてますね。僕が不満なのは企画七課の人間が報いを受けたという描写がされなかったことですが、あいつらが実は内海よりタチ悪い連中と言うこと前提にするけど、オウム事件とか、今世紀に入ってからの経済事件とか見ていると、内海的なトリックスターなリーダーよりも、それに群がって利用されてるような面して、実は一番好き勝手ヤバイことやらかしてる連中に対する嫌な感じというか、こいつが一番タチ悪いんじゃねえの? という考えが出てきているというのはあるのかもしれない。麻原よりもタチの悪い幹部っていたよね、という次元のお話しで、黒崎と内海の関係というのが、何となく劇中の中の人たちも、僕たち読者も誤魔化されていたけど、黒崎って現実にいるともっと悪い奴だと思う。

つまり作者ゆうきまさみと、id:toronei さんが共有する「内海が理想のヒーローのままで終わっていいのか?彼には何か報いがないとマズいのでは?」という視点には、自分は実は反論したいのですね。仮に内海がほほーいと、まんまと逃亡に成功、「また機会があれば遊ぼうよ!」と不敵に笑ってEND・・・・であっても、この漫画の評価は変わらないし、と同時に実社会において内海課長のような人がいたらそれはそれで「困るよコイツ」という話になる(それが健全か、不寛容かはさておいて)だろうし。

しかし自分にとってゆうきまさみという作家が、かなりオンリーワンな漫画家として存在しているのは、この辺の倫理感的なものに対する底の部分での共感があるんですよね、そういやラストはおたけさんがお父さんだけ出てきて、ヒトコマも登場しないのも凄いよねえ。大団円は匂わせるだけで、大団円にしないんだから。

はてなブックマーク - 内海が理想の上司になる社会の危うさ - 昨日の風はどんなのだっけ?

ゆうきまさみのオチの付け方というと、『じゃじゃ馬』における、ダービー勝たないエンドが印象深いのですが、ここで語られている内海さんの話も合わせてその辺のリアリズムというのが、作家性なのだろうなぁ。

作家的リアリズムというより、人としての真面目さとか誠実さの方を感じるんですよね。逆に身も蓋もないことになるときもある気もするけど(笑)。

企画七課で一番薄気味悪かったのはグリフォン作った技術者連中だったなあ。技術者倫理とかどこ行ったのよって感じで/あと、カップル始末するところで「心が痛みます」と言いながら口元笑ってる警備員も怖い。

読む度に思うのは、内海や黒崎よりも、技術者連中とかカップル始末する警備員とかの方が、確かに不気味に見えてくるんだよね。いまのバーディーではもっと露骨にその手の連中を描いてるように読んでる。サリン作ったり、弁護士一家の家に踏み込みに行った連中も、あんな顔してやっていたんだろうな。という思いはしてくるし、その空気って僕は内海じゃなくて、黒崎が作ってる気が最初からしていた。

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極東総支配人とか「君たちの警備が甘いせいで命の無駄遣いをさせてしまった」とつぶやくエライ人とかの不気味さもなかなかのものだとは思います。

この台詞って黒崎ですよね。このシーンってこの作品の悪人登場シーンでも、異色で凄い印象的に描かれているように思う。ゆうき版『パトレイバー』というと一番最初に思い出すのがこのシーンだ。
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