マンガ夜話に若い世代の批評家をレギュラーに入れることの無意味

今回も相変わらず、話題はとっちらかりますよ、ということは最初にお断り。

影法師 | BSマンガ夜話「よつばと!」についてアクセス数が多いことについて

まあだから単純に、それだけ成熟したバラエティ番組として、形が出来上がったということだと思うんですよ、それを堕落と取るのは、それは「笑点」の大喜利を否定・批判するような、無粋な方向に行ってしまう危険なことだと思います。
それよりもブクマとかで、繰り返しレギュラーメンバーの交代とか求めている人がいますが、僕はあまり意味が良く分からなかったんだけど、「よつばと!」の回のマンガ夜話に対する、アンチ反応を見ていると「自分の思うように誉めてくれなかった」としか思えなくて、それはあまりにもオコチャマというか、どこの伊集院光だよ的な反応過ぎて、心の奥でバカにするしか、出来ないと思っていたのですが、色々とこの件でメールくれたりした人の話聞いてると、もうちょっと深刻な根っこがあるような気がした。
いやまず僕には、マンガ夜話に新世代の評論家や批評家の参加を期待している人たちは、本当に意味が分からないんですよねえ。夜話って公開放送の時の客席とか見たら、一番分かりやすいんですが、メイン視聴者層が、明らかに僕らより10〜15歳ぐらい上の世代が中心だし、メインターゲットの視聴者層と見られていないのは確かでしょう。
だけどそりは出演者も視聴者も、この番組が始まる前から延々と戦ってきて、手に入れた場所なわけですから、若い世代でああいう番組をやりたいのなら、やっぱり自分たちで作れるべきだと思うし、仮に例えばオタキングでも夏目さんでも良いけど、若い世代の批評家などを替わりにした時に、メイン視聴者層に、論の内容ではなく、存在感によって説得力を持たせられる人が、僕は自分たちと同世代の若手批評家にいるとは思えないです。はっきりいってテレビというのは、話の中身ではなく、この番組で最近言われるようになった「説得力より納得力」ではないですが、テレビ芸者としてのキャラクターとか、もっともらしさや、うさんくささといったものが、ヴィジュアル的なモノも含めて必要になってくる。
おそらくいまのマンガ夜話のレギュラーメンバーに不満がある人たちは、こういう番組を伊藤剛とか、宇野常寛とか、本田透とか、少し世代が上だと東浩紀あたりで、マンガ夜話やってほしいと思うんですけど、このメンバーでやって「誰が見るんだ」とか「誰がこんな企画通すか」という所になるんですよね、はっきりいって「MONDO21」とかでもも、ギリギリ企画通るかどうか? という所にあると思います。
だからマンガ夜話の兄弟番組の「BSアニメ夜話」は、番組が始まった頃は若手の批評家や評論家を、積極的に採用しようとしていたけど、森川嘉一郎ぐらいしか残らなくて、山本晋也監督とかが、最近は複数回出るようになった。
テレビで説得力を持って、物事を発信するためには、論の面白さだけではダメで、そこには肩書きや風貌、話し方というのはもちろん、バラエティのトークとしての話法や、チームプレイでの話の転がし方というのも必要だし、服装や髪型がキャラクターを作るというようなこととか、色々な条件があるけれど、僕は90年代の批評家とかポストモダン世代の言論人で、はっきり時代遅れになっている人の多くが、いまだに駆逐されないで生き残っている理由に、この辺の能力が、僕らと同世代の言論人や批評家が、低すぎるという点を、僕らの世代の人たちは、甘くみて見逃していないか? という風に思っています。東浩紀なんかは、その辺良く分かっているから、表だった行動していないようにも思いますが(笑)。
やっぱり伊藤剛にしても、鶴岡法斎にしても、宇野常寛にしても、書いてる内容の善し悪しというのは、ある程度敏感に深く読んでいる人には、差違が分かるでしょうけども、この人達に限らず、僕らの同世代の物書きの人たちは、商売が下手というか、喧嘩が下手というのが、いまいち世間で売れない理由だと思う、自分たちより知名度の低い格下の連中とか、自分たちよりちょっと有名程度の人に噛み付いたり、喧嘩売ったり、一方的に勝利宣言したりしても、何の意味もないんだけど、そういう所に僕らの同世代の批評家は、拘りすぎだと思う、下とか横とか、ちょい斜め上とかと喧嘩することは、勝とうが負けようが、経験値もゴールドも稼げない。あと僕らの同世代の批評家や言論人は、見た目が地味という一点だけで、宮崎哲弥とか唐沢俊一に勝てない理由、とかいう話もあるんだけど、そこまで話題転がすのは、本題ズレ過ぎなのでやめときますが、ただ論は面白くても、人として面白くなければ、テレビは厳しいよね。
話を思いっきり強引に戻すと、正直、自分たちの望む形の番組になっていないからといって、メンバー変更を求めたり、番組自体を否定しているのは、僕には駄々っ子の所業ぐらいにしか見えてなかったけど、「自分たちがもっと語ってほしいと思っているマンガを取り上げて欲しい」「その時には、自分たちと同じ共通言語を持っている、若手評論家を出して欲しい」というのは、ムシが良すぎる要求のように思うんですよね、貴方達は語りたいかもしれないけど、BSとはいえNHKの番組で、それを聞きたいと思う人は、そんなにいないんだから、それを主張するためには、それを聞きたいと思う層を広げる努力を、もっとしておくべきでしょう。
例えばいしかわ先生とか夏目先生にしても、マンガ批評というのを始めてから十数年、マンガ夜話を始めてから数年が過ぎて、ようやく自分たちが一番語りたかった、真崎守とか、宮谷一彦を取り上げられるようになった。岡田さんだって、「ファイブスター物語」を取り上げることや、マンガ夜話のスピンオフ企画として、アニメ夜話を立ち上げるまでの時間とか流れとかを考えたら、「マンガ夜話に、自分たちが納得出来るような作品の選定と語り手を入れるために、レギュラーメンバーを変更しろ」なんて要求は、やっぱり“他人の褌”というか、自分が非難している相手の褌で、相撲を取ろうとする行為で、やっぱりお上品じゃないと僕は思う、そういう事をやりたいのなら、自分たちで一から立ち上げるべきでしょう。否定しておきながら、「マンガ夜話」というブランドに頼ろうとしているのは、なんか情けないとか、お寒いなあという表現が一番しっくり来てしまう。「レギュラーを交代しろ」じゃなくて、「ジジイ向けの番組なんて止めて、俺等世代のための番組を作れ」と言ってみたら良いのにね。
そういう意味で「PLANETS」とかを、自分で立ち上げて場を作っている、宇野常寛とかは、同世代の中ではエライ方だと思う。

ゼロ年代の想像力ゼロ年代の想像力
宇野常寛

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