やはりダウンタウンでぶれていないのは浜田の方だ

ということを、ますます強く思った次第です。

猪木と松っちゃんの間の越えられない壁 - タケルンバ卿日記

僕はそこまで松本が本当に自分に自信持っているとは思えないんですよね、そうじゃなかったら、いくら年功序列が厳しい芸能界とはいえ、さんまや紳助、また麻生香太郎にあそこまで反論できないことはないし、反論したいという気持ちを彼は隠していない。

この違いを頭に入れて、他のカリスマ的な人を見ていくと、別人格を演じているという意味で、アントニオ猪木長嶋茂雄松田聖子藤山寛美浜崎あゆみが近く、松っちゃんはイチロー山口百恵立川談志宇多田ヒカルと近い。こう考えるとわかりやすいんじゃないかなあ。

はいそれは、分かりやすいです。間違いなく松本は長嶋茂雄松田聖子藤山寛美の側に近くて、イチロー山口百恵宇多田ヒカルの方に似ているのは、浜田の方でしょう。もう少し言うと、松本や紳助はミスターや猪木側で、浜田とさんまはイチロー、百恵側でしょう。ちなみに上から外した立川談志も僕は前者寄りの真ん中だと思う。はっきりいってこの分布を見て、僕は自分の考えに確信持ちました。浜田の方がやはりイチロー型で、松本の方がミスター型です(たださんまと紳助の場合は、本人達の本性は逆という捻れは感じますが、この捻れがあれだけ才能があり、時代のトップランナーとして20年近く走り続けながらも、明石家さんま島田紳助も一番になっていない理由だとは思う、この話は長くなるのでまた別に書きたい)。
松本が自分というモノをしっかり持っているから、証明する必要を感じていないなんて事はあり得ない。もし松本が本気でそう考えていたら、著作やラジオであれだけ自分に対する評価の不安感というのをまき散らさない、松本の言葉として松本の自信の才能に対する自信や唯我独尊を表す言葉があって、その多くが松本という人を探るキーワードにされているけど、松本はその何倍も「評価されない事への飢餓」というのを表している、タケルンバさんが書いている、松本人志像はあくまでも「松本人志が理想とする松本人志像」であって、それは松本人志をカリスマ化している人にしか見いだす事が出来ない、カリスマの虚像だと思います。だから僕は先に引用した箇所を読むと、やはり松本はミスター、猪木、松田聖子側の人間だと考えます。こういう言い方は失礼になるから、本当はあんまり書きたくないけど、タケルンバさんだから甘えて書くけど、タケルンバさんが松本をそういう風に見えるのは、松本の作り出したカリスマイメージに惹かれている支持者だからだと思います。ただ松本は徹底できてはいない。
僕はやっぱりどうしても大阪時代から見ているし、大阪で彼が残していった影響とかも見ているし、「ダウンタウンを一番好き」「ダウンタウンが一番凄い」と思った時代というのが、同世代のお笑いファンと比べても凄い短かったので、どちらかというと虚像(カリスマ)としての松本人志と、天然の松本人志の違いというのに、僕はダウンタウン論、松本人志論というのは集約されてしまうし、いまの大阪の若手芸人を巡る環境にも繋げて話が出来てしまう。
僕は、松本は世間に迎合するべきか、世間を無視していくべきかという点で、松本が「週刊朝日」の連載や「放送室」での発言ほど、芯が固まっているとは思えないし、実際に松本の特にここ数年の仕事がそれを立証しているように思う、あと松本って以前にも紹介した麻生香太郎との対談とか、上岡龍太郎島田紳助なんかとお笑い論の深い話になったときに、反論しようとしてるんだけど、ぐだぐだになって言い負かされて終わって、松っちゃん涙目で終了というのが結構あったよなという印象があって、あそこで反論をしないのではなく、反論をしようとするんだけど出来ないというのは、松本自身が上岡龍太郎とか島田紳助の前では言い出せない程度の自信しか、自分の論に持っていないんだと思う。ああいう時は結構、浜田の方がしっかりした反論をするんですが、ただ浜ちゃんはそういう流れになったときは、基本的に空気消して参加しないですけどね、ただあれを意見がないと捉える人は多いと思うけど、浜田の方こそ「言っても仕方がない」と思っているから反論しない。
松本人志は、いまの大阪の芸人の流れにある、「自分のやりたい笑い」と「世間に受ける笑い」のどっちかふらふらするという、もっとも大きな親玉のように思うんですよね、むしろ松本からその病気が始まったと言えると思う、ただ松本にはいま同じ症状で苦しんでいる人たちと違って、大きな才能があったから強行突破できたというのと、時代があの頃はビートたけしが落ち着いて、とんねるずも意味が変わってきたときに、不完全なカリスマを芸人に求めるムードにマッチしていたけど、いまはもう少し戦略的にいかないと苦しい。
ただその部分について、松本人志には浜田雅功がいた、これはやはりどう考えても凄く大きい、松本人志の中途半端な所を全部補って、尚余りある浜田という存在の大きさは、もう少しダウンタウンを語る際には考えて貰いたいです。ダウンタウンがテレビタレントという部分で揺るがないのは、浜田こそぶれていないから、松本は安心してフラフラとカリスマらしい落ち着きの無さで、迷って不安定でいる事が出来る。

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