へびいちごが大好きだった

天然素材がいた時期が自分にとって大阪の若手お笑い一番好きだった時代だというのは、もうこれ読んでる人は知ってくれていると思う、知らない人で興味が出た方はご苦労様ですが、適当にこのダイアリーの中から見てやってください(笑)。
まず天然素材の世代の芸人を愛する常としては、最初はベイブルースティーアップぴのっきをで入るんですよ、そして雨上がり決死隊にハマる、そしてベイブルース雨上がり決死隊のどちらかをポスト・ダウンタウンという見方をし出すんですよ、ここまでは大体みんな似たような流れです。しかし同時代やその後には、チーム0FUJIWARAバッファロー吾郎ナインティナイン、へびいちご、チュパチャップス千原兄弟ジャリズムがそれぞれ台頭して、松竹からは、のイズ、DA-DA、T・K・O、よゐこといった人たちが、一斉に現れて正に大阪の若手芸人界の黄金時代時代を迎えるわけです。
そんな中で僕の中では雨上がりに対する愛情はありながらも、ミーハー的なファン目線はナインティナインに、そして自らの笑いに対するマニニックな部分は、よゐことへびいちごが若手が出るお笑い番組を見る度に刺激させてくれました。よゐこがナイナイと共に、かなり早い段階で東京に行ってしまったこともあり、大阪の若手が出るネタ番組で見れるコンビとして、正統派なら矢野・兵動、マニアックならへびいちごが、自分のネタを見る上での、一番愛すべき熱心に見ていた若手芸人でした(解散したコンビだと、他にも色々いるんですが・笑)。
天然素材の当時を知る人に聞いてくれれば、「怒涛のくるくるシアター」の頃を知っている人なら、天然素材で最もマニア人気が高かったのは、へびいちごだったというのは、みんな知っていると思うんですよ、雨上がり決死隊FUJIWARAバッファロー吾郎の三組は既にその当時は大阪でスター候補生として売れっ子になりかけていたし、キャリア的に年少組になるNSC9期生の天然素材三組の中では、まず大阪ではへびいちごが一足先にテレビで露出していて、かなりマニアファン層を開拓していた。
なんかいま天然素材という歴史が語られるときに、当時アイドルだったのは誰か? 当時マニアックなことを志していたのか誰か? という話は、ナイナイも雨上がりもバッファロー吾郎も語っているけど、僕はその全部がそんなに正確なこと言っていないと思っているんですよ、誰かが嘘を付いているとか自分を良く見せようとしているとかではなく、単純に人の記憶というのはそのぐらい、自分のことほど曖昧なものなんだと言うことだと思う、僕の記憶がそれほど正しいという証明はないけど、僕の中では天然素材でマニアックなことをしていたのは、唯一違う所を目指していたのが、へびいちごだったという感触は心に残っているんですよ。実際に僕以外の著名な方だと、構成作家の桝野幸宏なんかもそういう評価していたというのは、後々になって聞きました。
なんでこんな話をいきなりしたかというと、今日ある所で放送局の方とお話しする機会がありました。その時に大阪のお笑い賞レースの話になったんですが、その時に色々と裏話的なことを聞けたんで、それはここで書くべきことではないんですが、一つだけ心に響いたことがありました。それは「事務所がエントリーしていたのに、へびいちごが三年連続で予選会すっぽかしたんだよ」と言ったんですよ、僕はそれを聞いて鳥肌が立ちました。元々へびいちごはそういう事してるらしいというのは、ファンなら噂として聞いていたんですよ、事務所がエントリーした賞レースの予選、番組のオーディションを自分の判断で、自分たちが向かないと思ったら行っていないというのは、噂には聞いていた、でもまさか本当だったとは思わなかった。
僕は本当ならこういうのに厳しいコメント向ける人なんですよ、でも僕その時、「格好良い〜〜!!」って思って鳥肌が立った、そしてこれが僕が肯定的に感動した一番大きな理由だと思うんですが、それを語った局の人も、その口調が肯定的な言い方だったんですよ、「へびいちごは自分という者があって良い」という言い方だった。
でも本当に「自分のやりたいことを貫きたい」「マニアックと言われても構わない」という人の、これこそ正しい姿じゃないですか、後々になって「あの番組は嫌だった」「賞レースには出たくなかった」なんて寂しい言い訳をするのではなく、最初から行っていないということこそが、真にマニアックなことを追求している芸人の姿勢であり、本当に格好良い芸人さんだと思いましたよ。
そりゃいまテレビや劇場でへびいちごは売れているとは言い難いかも知れないけど、決して芸人を廃業することないだけの収入はキープ出来ているというのは、やっぱりこの辺をきちんと見てくれている人がいるからですよ、いまなお「めちゃイケ」は大阪の仕事が忙しいからと断っている話も、全部つながってくる、その一方で吉本の後輩の芸人に頼まれて、ワッハのレッスンルームの無料インディーズイベントの司会を引き受けたりというのも、去年あったというのを聞いて、正直俺はあの思春期の頃に、へびいちごが大好きで良かった、そんなことをつくづく思いましたよ、やっぱり高橋さんも島川さんも、最高に格好良い芸人さんだと僕は、十数年前の思い出と共に心底感動しました。
上っ面だけで、マニアックを気取っている連中や、マニアな笑いと良いながら、その実は単に部活ノリの身内受けでしかない連中なんて、残念ながら今の大阪の芸人には沢山いるわけですし、そういうのをマニアックなレベルの高い笑いと勘違いしている人たちも沢山いるわけです。でも自分たちの美学をこうして貫いている芸人さんがいる、それに対して若手の頃から一切ぶれていない、へびいちごというコンビを、僕は年若い頃の思い出も含めて、最高だったと言いたいです。
一貫して過去形なのは、最近のへびいちごを残念ながら、ほとんど見れていないからですが、しかしへびいちごに対してアンチ的な雰囲気が満載しているであろう環境で、へびいちごをこちとら見たくないんだよ、へびいちごで単独を、いやへびいちごの笑いを届けてくれるライブを、僕は大阪でやってくれる所を見たい。本物を見せてやってください。そして過去形ではなく「へびいちごは面白い」と一日も早くまた言わせてほしい。マニアックとか、舞台芸人という言葉を、テレビで売れなかったなれの果て芸人の言い訳、逃げ込む場所にしない為にも、最初からそうではなかったへびいちごに、僕は立ち上がって貰いたい。
そこまで現在に期待出来なかったとしても、自分の思春期の伝説的な存在だったへびいちごさんが、スターであるナイナイ、努力でスターの座に這い上がった雨上がりと並んで、天素のなかで芸人であることを選んだ存在として、僕は次にへびいちごの名前を呼び続けたい、叫び続けたいです。あくまで一ファンにしか過ぎない存在だけど、あれだけ楽しませて貰った、心を揺さぶらせる少年時代を過ごさせて貰った恩が、僕はへびいちごのお二人にはある。
最後に全くの余談、天然素材でナインティナインが突出しだした頃に、天然素材で呼ばれたのに、ナイナイだけが出演時間が長い、楽屋が他は大部屋だけど、ナイナイだけが個室という待遇、そういうことにいまは天然素材だった他のメンバーも、多くの皆さんが、面白可笑しいエピソードトークに昇華出来ていますけど、当時はみんな出来ていなかった。僕は凄い覚えているのが、パイオニアのlDプレイヤーのCM撮影があった次の週に、ナイナイ以外の天然素材の芸人が、みんな恨み妬みの強いトークを、当時ラジオでしていたんですよ、僕はそれをきっかけに「よしもとDAウー!」を聞かなくなったぐらい、嫌な思いになったんですが、そんな中でへびいちごだけが、そのCMのロケの話を楽しく話していたし、それ以外の天素でいって、ナイナイだけが特別扱いされている状況を、凄く「同期のナイナイがこんなに売れて嬉しい」というトークをしていたんですよ、当時本心だったかどうかは分からないけども。
でもこれが本心だったとしたら、目指しているものが違うから、最初から嫉妬しないという姿勢が、当時からへびいちごにはあったんですよね、当時の大阪の芸人で、あんなにナイナイが一組だけ東京で突出して売れた事に対して、友達として嬉しいということを言っていた吉本芸人は他にいなかった。友達思いと言うことも、最初から言い訳でなく、マニアックなことを目指していたんだなと、へびいちごの二人はやっぱり最高に格好良い、真の芸人です。

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