「NSCで何期生が好きか?」と聞かれたら、迷わず「9期」と答える人のブログです。

というか12期生ぐらいからは、誰が何期とかそんなに感心もなくなっていたのですが。

社会人が仕事もそっちのけでTVにRADIO:ナイナイプラスでNSC9期生同窓会 / ナイナイメモリー3

自分が吉本の若手を見だした時って、天然素材のメンバーが人気になりかけていた時期で、いわゆる2丁目劇場で、雨上がり決死隊バッファロー吾郎が全く人気無くて、楽屋でみんなで「今日の客みんな死ね」とか毒突いていた時期ではなくて、天素のお兄さん格三組は、そこそこ関西ローカルだけどレギュラー番組も持つようになって、キャアキャア言われていた時期だった(なんかこの三組の昔話聞いてると、天素組んだらすぐにナイナイの一人勝ちになったみたいな話になっているけど、実際はそんなことなかった)。
だからもう既にある程度若手の中では売れていた、雨上がり決死隊バッファロー吾郎FUJIWARAの三組より、NSC9期生の三組、ナインティナイン、チュパチャプス、へびいちごの方が、新参の若手お笑いファンとしては、好き嫌いとか、好みかどうかは全く別にして、思いを入れやすい存在だった。この三組と、矢野・兵動、松竹の同期よゐこ、そしてNSC8期生だけど、コンビ結成が大分後のやるじゃねぇかーず、そして当時大滝エージェンシーダックスープ、このあたりの天素が大阪にいた時代というのが、自分にとっての大阪の若手お笑いの一番輝かしかった頃です。
それでも天素がしばらくしたら、ナイナイ一人勝ちになって、へびいちごは大阪に帰ったけど、あっという間にハブられてしまって、チュパは大阪にいたら消息が分からないぐらいの活動になってしまうし、矢野・兵動も当時の大阪のファンからは見向きされなくなって、その後の「WACAHCAHブーム」というのが、アンチ天然素材的な雰囲気を感じて、僕は乗れなかった所があって、それでよゐこますだおかだのラインで、松竹の若手に行って、ボキャブラの方に行ってしまって、大阪の若手お笑いみたいなものに、しばらく距離が出来たんですよね、特に大阪の吉本とか松竹だけでやってるようなお笑いになれていたから、ボキャブラで芸人さんがスタジオに沢山来るようになってからは、吉本とか松竹的なせまい感じがしないのが、凄い新鮮だったのを覚えていて、当時の吉本の若手芸人の持っていた、勝負事になると、他の芸人を出し抜こうとか、蹴落とそうというの丸出しな所に、嫌悪感を覚えるようになったし、あんまり他となじめない松竹芸人の弱さを感じていました。さすがにこの辺は、いまの芸人さんには見られないですけどね。
またこの時期に大阪のお笑い界では、こだま・ひびきくにお・とおるたかし・ひろし、ちゃらんぽらんといったあたりの、お笑いスタ誕世代の当時の中堅芸人が急に脚光を浴びだして、それぞれ一枚看板として名を馳せていく方が、凄く新鮮に見えて、そっちの勢いの方が僕には魅力的だった。また「WACHACHAブーム」が、他の大阪の芸人さんとか、大阪の老舗の演芸番組とは、あまり混じらない形でのブームだったというのも、一度ブームの輪から外れてしまうと、分かりにくい状態でもありました。
しかし成功したのがナイナイぐらいで、よゐこも東京に行って小さく収まったし、ますだおかだもパッとしないし、矢野・兵動とへびいちごは消えちゃったし、という時代が長く続いたときは、本当に辛かったし寂しかったけど、よゐこはいうまでもなく、ますおかもオンバトM-1で台頭して、やのひょうもようやく復活してきたし、チュパもコンビは解散したけど、それぞれピンで売れてるし、解散して辞めてしまった人以外は、みんなそれぞれ活躍しだしているのは、嬉しいなと思っています。本当に後はへびいちごだけなんだよなあ……(苦笑)。
でもへびいちごが、ナイナイ単独というか、NSC9期生という括りなら、同窓会企画に応じるのに、天然素材の同窓会企画には応じないというのは、やっぱり何か思う所が、天素にはあるんだろうなあ。自分は天素でナイナイだけが頭一つで出した時に、他の天然素材のメンバーが、ラジオとかでその状況を愚痴りだしていた頃に、同期ということもあるんでしょうが、へびいちごだけがナイナイが売れ出してることを、素直に喜んでいたのを凄い覚えているので、へびいちごは売れて欲しいなあ(笑)。

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