吉本芸人に見られる「宮迫病」的症状

お笑い界には、「ダウンタウン病」とか「松本病」といった、強く影響を与えた人によって、その人と同じようなスタイルが蔓延することや、似たようなダメパターンを持っている人を一括りにする際に、その代表格の固有名詞の冠を付けて、「○○病」ということが、稀にですがあります。
最近の関西系の芸人の東京進出をみていると、「自分のペースでしか、話を進められない」「自分の知識のない話題を、相手が展開しても広げられない」「それどころ興味がない話は聞くことすら出来ない」「相手を落としてしか弄ることができない」といったのは、吉本芸人の一部傾向としてあります。要するに自分の空気を共演者に強要する芸人、僕はこれは「宮迫病」だと考えています。
主な罹患者には、千原ジュニア陣内智則、関西じゃないけど加藤浩次などが代表的な患者で、コバとかナベアツなんかもプチ宮迫病な所があります。

『アメトーーク』での宮迫さんの弄りはヒドイ|お笑い好きで腐男子の適当な日々

こういう宮迫の昔からの悪いところですよね、自分の興味のない話題、自分があんまりピンと来ていない話題は、とにかく荒っぽい処理しかできないんですよ。それどころか自分がその話題についていけてないのに、相手が場の空気を読まないで、変な話題を出してきたみたいな処理にする。宮迫はこういうところは、天素にいた時代の頃のラジオから、ちっとも変わっていないです。
というか天素は自分にとって、デビューの頃から知っている芸人の、一番最初の世代の人たちだから、思い入れだけじゃなくて、どういう風に成長や変化を遂げたか見てきたわけだけど、天素のメンバーだと(最近メディアで見かけない、へびいちごを除くと)、宮迫と木村だけが、本当に悲しくなるぐらいに成長していない。宮迫はデビューの頃からポテンシャルが凄くて、キャラも演技もトークもこなしていたけれど、結局それが成長する機会を奪ってしまった感じだし、木村は木村で、本当なら成長するチャンスの時期に、そうしなくても良いキャラとポジションを、巧いこと見つけたんですが、それが結果的にこの二人を、これ以上は上には行けなくなってしまった。僕は天素の六組は、全員にそれぞれ凄く好きだった時期も、凄く嫌いだった時期も両方あって、思い入れがありすぎるから、なかなか公平な見方は出来ないんですが、宮迫と木村が10年前や15年前にも、こんな感じで司会者として失敗していたな、こんな風にノープランで前に出てすべっていたなということを、繰り返し見せられ続けるのは、お笑い見てるのに悲しくなる時があります。
30分時代の芸人以外のゲストを呼んで、トークしていた頃の『アメトーク』が失敗したのは、蛍ちゃんも司会者として成長する前だったこともあるけど、宮迫が司会者としては芸人以外と絡めない。という欠点が最も大きく露呈してしまったと言えるでしょう。ここで失敗で終わっていたら、宮迫も反省して成長する余地があったのかも知れないけど、芸人しかゲストに呼ばない番組に、番組の内容が大きく変わって、番組が成功しだしたのは番組スタッフの手柄ですが、宮迫博之という司会者の限界点を、決定付けてしまったような気がします。
芸人の司会者がもう一つ上に行こうと思ったら、ビートたけしタモリ明石家さんま島田紳助笑福亭鶴瓶を見ても分かるように、素人を筆頭に、お笑い以外の人はもちろん、芸能界以外の人を相手に、仕切る能力というのが求められてくるのに、その為には何が必要なのか、全く気付いていないところが、芸人が多くなりすぎて以降の世代の芸人司会者の限界として、大きな意味を持ってくると思います。これは中山秀征や恵俊彰の牙城を、どうして吉本の中堅芸人は脅かせないのか? という答えでもあると思います。
しかしこのブログ記事を読んでいると、自分が弄られるのは嫌いなのに、他人を弄るのはやたら好きというのは、まさに「宮迫病」の典型的な症状ですね。しかも本人に弄られるような、天然要素の宝庫なのに(笑)。そう考えるとまだ陣内は、治療の余地があるんだけどなあ。
あとこの放送は、Wコロンねづっちの「謎かけ芸」に対して、宮迫の弄り方が延々と「誰も笑っていない」「笑いにはつながらない」という一択しかない弄り方だったのも思い出した。あれも嫌な弄り方だったなあ。宮迫は価値観が狭い上に、そのままで良いという環境で司会者やっているのは、本人にとって不幸でしかない。

加藤浩次 「婚活に対する疑問について語る」 | 世界は数字で出来ている

これも典型的な「宮迫病」患者ということを、良く現しているエピソードなので、続けて紹介させて頂きます。
加藤浩次は、昔ラジオで「20歳過ぎても童貞や処女なんて奴は、よっぽど人として問題あるやつだけだろ?」的なことを言っていたので、恋愛ができないということ自体に、リアリティが全く感じられない人なんでしょう。こういう自分の常識・非常識の価値観を、世間の常識・非常識と、全く一緒と疑わないところが、この症例の典型ですよね。現代語の「婚活」ということだけに引っかかてるけど、「じゃあ昔からあるお見合い結婚という形態はどうなの?」という反論をされたら、全く答えようがないんですよね。あんなのは一部の人達だけの文化、という風に言うのが、加藤浩次には精一杯じゃないのかな? 一度タモリ家系図の話を聞いてみてほしい。
しかしいま朝のワイドショーのキャスターって、みのもんた小倉智昭、そして加藤浩次って、自分本位の物の考え方を、ダイレクトに押し付けて言っちゃう人ばっかりだよなあ。日本のオバチャンがそういう物言いが好きというよりは、もう単純に考えるのが面倒くさいから、押し付けてくれた方が楽という層が、日本の朝の情報番組を支えているんでしょう。