大竹まことが、サンドウィッチマンを前に語った「キングコングに一票入れた理由」
大竹「お前らは粗い。俺はキングコング」 - タスカプレミアム
ラサール石井も2005年のM-1で、「ブラックマヨネーズに流れた風ではなく、自分が一番笑った笑い飯に一票投じた」と語っているけれど、そう考えるとM-1の審査員の構成というのは良くできていて、番組的な流れとか、寄席イベントとしてバランスを考慮した採点をするのが、島田紳助と中田カウス、全体の番組的な流れや雰囲気に押し流されずに、自分の審査したいポイントに沿っているのが、ラサール石井と大竹まこと、構成や練習量などの技術点に重きを置いた分析が多いのが、オール巨人や島田洋七に春風亭小朝、自分が単純に面白いと感じたものを、己の感性に従って、順番に評価していくのが、松本人志、南原清隆、渡辺正行という風に、色分けがはっきりしていて、それぞれの審査傾向のタイプがバランス良く配置されている。芸術点審査がメインの審査員、技術点メインの審査員、そしてタレント性的なものをメインとする審査員の、バランス配置が結果論かも知れないけれど、M-1はうまく取れていることが、良く分かります。
だからキングコングに一票入れた、大竹まことに対して、去年のM-1の直後に「番組の空気が読めていない」的な批判が起きたのは、本当にお門違いだと思いましたね、というか審査員に「空気を読め」って何だよと、そういうのを八百長や出来レースと言うんじゃないかと、というのは去年のM-1の直後から思っていましたが、ますます強くなってきましたね、ここまで理論立てた上で、信念を持って名前のある人が出した結論なら、反発はあっても良いけれど、審査員に相応しくないとまでは言えない。大竹まことの意見に反対する自由は、当然ありますけどね。
しかし大竹さんのサンドウィッチマンとトータルテンボスとキングコングの比較は面白い、トータルテンボスをオーソドックスと一蹴しているのに、キングコングを評価するというのは、多分、大竹さんもワザと舌っ足らずに言っている所もあって、意味が分からない人が多いと思うんですが、自分たちと違って王道を目指しているキングコングの方に、「自分は出来ないからこそ憧れる」という大竹さんの視点は、やっぱりM-1の審査員として面白いです。「王道であろうとすることを評価する」という視点は、チャンピオンシップにおいて重要な目線でしょう。
松野大介や大竹さんらキンコン支持する人らはとにかく周りに流されんね。
王道で覇権を目指すということの大変さや重圧とか、その辺のことを知っている人は、知らない人がいくら違うことを言ったって、流されることはないでしょう。だってどう考えても、玄人受けで分かる人にだけ分かれば良いって路線より、アイドル人気を経て、万人受けする方が大変だもん、その戦場にいる人は、そのことは分かっていますよね。
いまの芸術、文化、芸能というのは、変化球投手ばかりを評価するというか、その時代その時代にハイセンスなもの、表現の最前線にあるものを評価する方法というのは、どのジャンルにおいても、確立されてきている反面で、メジャーで一番売れることを目指して、人気のある作品や人を評価する方法論というのは、後発ジャンルほど確立できていない。表現の最前線で戦っている奴というのも偉いんだけど、メジャーの最前線で戦ってる連中も、同じぐらい偉いんだという事を、いまのお笑いジャンルでも語っていかないといけない。
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