明石家さんまのような師匠クラスと若手芸人が共演するときの話を続けます

慶と鳥居みゆきに見る、明石家さんまとの若手芸人の理想の絡み方:昨日の風はどんなのだっけ? - 一汁一菜絵日記帳

さんまさんに遠慮する必要なんてないよという話を、もう少し掘り下げたいんですが、なんか結局吉本系の芸人さんが、さんまさんや紳助さんの前で萎縮してしまって、慶とか鳥居みゆきとかが弾けられるのって、吉本の中途半端に体育会系なところに影響していると思うんですよ、だから浜田さんや石橋さんを相手にすると、やりやすいというのも分かるんですけどね、この二人は分かりやすく体育会系の先輩として振る舞ってくれるから、分かりやすいやり取りで巧く絡む事が出来る。
しかしそれにしても、たけしさんやさんまさんを前にして緊張して、本来の力が発揮出来ないっていうのは、やっぱり違うと思うんですよね、だってお笑い界の、ましてテレビで育った芸人の大先輩なんだし、よほどの事がない限りは現場では許容してくれる訳じゃないですか、これが、みのもんた黒柳徹子とか、大物俳優とか政治家を前にしたときに萎縮するのは分かるんですよ、例えば今田耕司俵孝太郎を怒らせた事があるとか、明石家さんま藤本義一を怒らせたとか、芸人間のルールが通用しない相手だと怒らせる心配があるから、そういうお笑い界以外の芸人じゃない大物を前にしたときに、萎縮するのは分からない事はないんですよ。
例えばさんまさんや三枝さんなんかに、あとで凄く怒られたとしても、カメラの前で目立った方が勝ちじゃないですか、三枝さんだって楽屋に戻ってから「ちょっと来い」ということはあっても、カメラの前や舞台の上で怒るなんて事はしないわけで、明石家さんまとんねるずダウンタウンナインティナインも、そうやって怒られても良いからと自己アピールしてきたから、いまがあると思うんですけど、そういうのが全然いまの吉本の若手には伝達されていないように見える。上辺の上下関係ばかりが生き残って、その辺の「魂」みたいなものが、ナイナイあたりを最後に伝達していくのが途絶えている気がするんですよ、というか三枝師匠がさんまさんをあれだけ可愛がっていたのって、言うこと聞かずに自己アピールを続けていたことと、無関係ではないと僕なんかは思うんですけどね、だからもっとさんまさんとか紳助さんの前で、若手芸人はヤンチャなことして大丈夫だと思う、紳助さんが若手どついたみたいなエピソードも、どちらかというと前に来なかったという理由が多いんですよね、というか一回怒ったぐらいで、二度と自分の目の前に現れるなみたいなこという人は、この世界では残らないと思うんですよ(笑)。
なんか松本人志あたりが、三枝さんやさんまさんとかを、必要以上に怖がっていたエピソードしすぎなんじゃないかなあ、それがいまの「めちゃイケ」でのナイナイと極楽とんぼの「お笑い怪獣」扱いというのが加わって、いまの若手芸人が必要以上に師匠クラスやベテラン芸人の前で、弾けられない理由になっている気がする。
ここからはこの流れの話ではあるんですが、「すべらない話」とかの話になるんですが、例えばさんまさんと松ちゃんで、横山やすし桂三枝のエピソードトークで同じように叱られたり、振り回された話をしても、だいぶ印象が違うんですよね、さんまさんとか、紳助さんの話と違って、松ちゃんの話に出てくる、三枝さんややすしさんって、本当に悪い人や怖い人なんですよね、さんまさんとか紳助さんだと、いや浜田さんでもそうだけど、この人たちの話の中に出てくる桂三枝は“細かいことで怒るお茶目な人”なんですよ、この違いというのが凄い大きいなあと最近感じるように、特に「すべらない話」という番組が始まってから、余計に強く印象強くなっている。
かなり前にごっつで、松本人志の「やすしくん」に横山やすしの遺族が物凄く怒って、芸人の先輩とかも松ちゃんの側にあんまり付かなかったことがあったけど、なんていうかさんまさんや紳助さんのトークとかモノマネコントって、題材にされた方、弄られた方が美味しいんですけど、松ちゃんに限らず、松本ファミリーの人たちのエピソードトークって、弄られた方がおいしくないんですよね、キム兄にしても、千原ジュニアにしても、同じエピソードでもさんまさんや紳助さんが話したら、対象になっている人のイメージが全然違うと思うんですよね。
以前にも千原せいじジャリズムの山下が、この辺の人たちに弄られる、トークのネタにされる度に仕事の幅が狭まっているという話をしたことがあったと思うんですが、おそらく同じ話でもさんまさんや紳助さんがしたら、せいじさんや山下さんの印象はだいぶ違っていると思うんですよね、少なくともいまのただダメな子一辺倒の評価にはなっていなかったように思う。
とりあえずナイナイが、東京で二人だけで裸で勝負しなくてはいけないときに、明石家さんまを怪獣に仕立てるという戦い方は悪くなかったし、それはそれで正攻法だったと思うけど、後に続く人たちがみんなそれに乗っかっているのは、楽してるなあというのと、それが原因で辿り着けていない所があるという風に思う訳です。