今田耕司というエンジェルパサー

さんまのまんまにおける今田耕司明石家さんまと渡り合ってトークをしていた姿は桂三枝明石家さんま今田耕司という吉本興業の一つの系譜を気づき上げつつあると思わせる瞬間であった。

これはまさしくそうなり得たというか、もうそうなったと言ってしまって良いような気もしますが、それを思うとヤンタンにおいて今田耕司の担当週をアイドル番組にしてしまって、結局そのままフェードアウトさせてしまった当時の毎日放送ラジオのセンスの無さ、結局この後でヤンタンは迷走を繰り返して、ヤンタンはさんまと鶴瓶が週末にわずかに灯を残すだけになってしまった。そういえばこの今ちゃんのヤンタンも作家はかわら長介だったな(苦笑)。
かわら長介ダウンタウンを発掘したということで、今多に大阪では大御所扱いですが、ダウンタウンが東京に連れて行かなかったこと、90年代後半のヤンタン今田耕司の回での失敗、そして「新・たかじんが来るぞ」でやしきたかじんに自身の書いた漫才台本を罵倒されて降板したといったことで終わった人として扱われるべきだと思います。
しかし今田耕司は結果的にではありますが、関西でブレイクしないままに東京に移籍して大スターになった第一号芸人として認定しても良いのではないでしょうか、しかしダウンタウンが東京に連れて行った芸人、連れて行かなかった芸人の選択というのは見事だったなと言うしかないですよね、ダウンタウンが当時関西に切り捨て残していった芸人の現状を見ていると、あのときにダウンタウン倉本美津留高須光聖のおそらくこの四人がやったであろう冷静かつ適切な判断を残酷ですが実行した決断を賞賛するしかないです。
(「戯言」?ダイアリー)