今回のオールザッツ漫才について

バッファロー吾郎の二人が奇しくも全く同じような感想を日記に書いていました、ともに2005年の「オールザッツ漫才」は“オールザッツらしさ”が無くなっていたという内容です。以下、ともに2005年12月29日付より。

木村さんの日記では同時にこの番組出演が今回が最後だったことも表明されていて、だからこそこういう感想を素直に持って吐露してしまったんだと思います。番組卒業の理由は2006年中に東京移籍が決まったと想像してしまいます。レイザーラモンケンドーコバヤシが東京に移籍し、友近も実質移籍しているし、かつての盟友たちも大阪に残っているのは自分たちとへびいちごだけということ考えれば、バッファロー吾郎が大阪に残っている理由はもう何もないですよね、お子さんがまだ産まれていない今が最後のチャンスとも言えるでしょうし。
話を「オールザッツ」に戻します。そういう違和感を持っても、何もすることが出来ない、というよりもはや立ち位置的に何かをすることが許されないベテランとして番組内で扱われているもどかしさというのも同時に文中から滲み出ていますが、そんな違和感を身をもって示したのかどうか分かりませんが、唯一まさに昔のオールザッツという空気を全面的に表していたのはバッファロー吾郎の同期芸人(笑)なだぎ武のいるザ・プラン9だったのではないでしょうか? うめだ花月などでもやっている本ネタだったらごめんなさいですが、実験とかでは済まされないぐらいにグダグダだけど楽しいネタ、観客がそして何より客席にいる芸人さんがそれを許している喜んでいる空気、そしてラストのオチが「スノッブのテーマ」だったのは、これはオールザッツには「スノッブのテーマ」が不可欠であるという抗議を込めたメッセージをプラン9が、いやなだぎさんが込めてくれたのだと受け取り、正直ストリークのトーナメント優勝に次いでテレビの前で熱くなった瞬間でした。もうあのメロディをまたオールザッツで奏でてくれたプラン9は素晴らしかったです。さすがベテランやることが違います。プラン9はいやなだぎ武はその後のディランさんに至るまで、独りで古のバッファロー吾郎の二人が言うところの“オールザッツらしさ”を体現していました。トーナメント出場芸人だと他にはプラスマイナスが“オールザッツらしさ”という点ではMVPでしたね。
しかし例えばザ・プラン9にしてもそうですが、野性爆弾レイザーラモンケンコバたむらけんじがやったような、明らかに一昔前なら芸人しか笑わなかった、やってる側も客席の芸人さえ笑わせればいいという思いでやっていたし、現実に昔の客はリットン調査団スノッブに本気で笑ってなかったけど、いまの客は「お客さんをほったらかしにして、芸人受けだけをねらっている」という所まで理解して笑うようになっている。
この手の芸人さんが出てきたときに、観客を捉えるカメラは必死でキョトンとしていたり引いてる観客を探しているようなカメラワークで、それと大爆笑している芸人席を対比させたかったんでしょうが、一人の人がキョトンとしたり引いていても、その周りが全部大爆笑しているから、全然笑っていない客席、爆笑している芸人席を取りたいという意図なんですが、全くその効果出せないでいたもんなあ、ここまでお客さんの笑いのリテアラシーが上がってしまっては、バッファロー吾郎の望む空気はもう出せないというか、そこまで大阪のお客さんのリテアラシーを上げたのはバッファロー吾郎の教育の成果なんですけどね、しかも本来テレビ的にNGなことでもオールザッツなら許されるというのも、もう全国放送のゴールデン番組で“ハードゲイ”がOKになってしまった後ですからね、「笑いの金メダル」と「笑わず嫌い王」でたむらけんじが小ブレイクしたり、オールザッツらしさというものが拡散して薄まったとはいえ、メジャーになってしまったということでしょう。もはやバッファロー吾郎の世代が思っているマイナーというのは、もうメジャーなものとして世間が扱うようになっている。
ただバッファロー吾郎さんが言ってる“オールザッツらしさ”というのは、ある意味彼らが主役だった頃の90年台中盤以降のオールザッツであって、彼らが一分芸人だった頃の時代の雰囲気ともまた違うかなという気もするんですが、最初の頃のオールザッツの吉本のトミーズより下の芸人が全部出るという感じで、今で言うとbaseオーディション組ですら半分ぐらいは出れる、伊賀・平山やおしどりやエリ・トモも出るみたいな番組だった、だからこそバッファロー吾郎の2005年まで皆勤賞というような状況も生まれたけど、いまはオーディション組どころか、ビーサン芸人ですら出れない、いやビーニ芸人ですら何組か出れない状況では*1、そりゃバッファロー吾郎の望む空気というのは生まれないですよね、ホンマに昔の一分ネタコーナーって、「今年唯一のテレビ出演です」どころか、おそらくこの仕事が吉本から明細が届く唯一の仕事だったみたいな芸人が沢山いたし、生涯のテレビ出演がオールザッツだけだったという人も沢山いたでしょう。
いがわゆり蚊を始め、何人かの芸人さんが客席に一般人として見に来ているのが映っていましたが、本来ならばオールザッツに出てなきゃいけないんですよね、でも例えば一昔前なら絶対に重宝された極悪連合や日刊ナンセンスはもちろん、いまオーディション組だけど夜盗賊団後藤レクイエム大脇里村ゼミナールみたいに絶対に深夜3時や4時の時間に必要なネタを持っている人たちが出なくなってるというのは相当にこの番組が昔の雰囲気をなくしている要員のように思いますが、やっぱりこれは10年前と違って芸人が多くなったのに反して、関西における若手芸人が活躍できる機会は変わらない、むしろ狭まっているということから、昔より吉本が吉本の芸人という枠を狭めている意思の表れなんでしょうね、正直いまのbaseの縮小路線っていうのは、baseだけとか支配人の方針というだけのものでなく、吉本全体の方針と考えて良いんでしょうね、そりゃ若手芸人多く抱えても使える場所がないという気持ちになるのは仕方ないと思います。東京吉本が若手に関して拡大路線を取っているのを考えると関西の事情というのが反映しているというのがよく分かりますね。
ただもう今となっては分かんないかも知れないですが、本当に昔のオールザッツは「2丁目にも出てるのか?」みたいな人が、今でいえば「キタイ花ん」レベルの芸人は当たり前で、「笑いのシンポジウム」や「キャタピラ」に先月初めて出たみたいな芸人さんが平気で出ていた時代があったということは時代の証言として書き記しておきたいです。その時代には戻れないだろうなと思う、何度もここで書いていますが、昔と違ってうめだ芸人の世代が生き残り過ぎていて、そういう人たちを出す時間が作れないというのもあるし、またそのうめだ芸人がオールザッツの祭りを楽しむのではなく、関西芸人にとって東京進出の登龍門の一つとなったこの番組でその年のM-1準決勝でやっていたような勝負ネタをかけてくるようになりましたからね、うめだ芸人ですら必死のネタやってる人がいるようでは、baseオーディション組まで枠を広げて余裕を持って出すことはそりゃ出来ないですよね。昔のオールザッツはM-1の一回戦とまではいかないけど、二回戦ぐらいの雰囲気でしたよね、いまはじそのまま準決勝みたいなメンバーですから、そりゃ雰囲気も変わりますよ。
逆にファンダンゴの年またぎの「ヨシモト∞」が昔のオールザッツのような空気で東京吉本の芸人でやっていたのは特筆すべき事項だと思いました。ああいうオールザッツのような雰囲気というのは、もう地上波ではなくスカパー!のようなペイチャンネルの役割になっているということもあるし、若手を売り出す余裕というのが大阪にはなくて、東京にはあるという両方を痛感した2005年のオールザッツと、それを振り返るバッファローさんの日記でした。
(びんづめの解決)

*1:ブロンクスが出てないのは少しビックリした。ロデオボックスや暁、ママ・レンジなんかも出れないんだもんなあ……。