ジーコを巡るお話し

ジーコの支持者、擁護派から消極的現状維持派と反対派、解任派、懐疑派といった人達の中でトーンの違うやり取りがある中で、ジーコの積極的支持者から消極的現状維持論者がある程度共通して多く主張する意見の中に、『ジーコの責任ではない、出来ない選手が一番悪い(もう少しトーンが下がっても、ジーコは悪いけどでも出来ない選手に一番責任がある)』という意見がありますが、でもジーコ監督に少しでも疑問を持っている人の多くは、それに対する反発があるんじゃないのかと思うのです。
前にも引用しましたが、ゆうきまさみ先生の『ゆうきまさみのにげちゃだめかな?』スケッチブックより。

「一度しくじればプロジェクトからはずされかねず、しかも二度と呼んでもらえなくなるかもしれない立場の技術者」は、「社長からどういうわけか全面的に信頼されていて、一度や二度の失敗で解雇はまだしも、減俸、叱責すらされないプロジェクトリーダー」をどういう目で見るだろうか?ってゆー疑問は去年からずっと抱いているんですけどね。

という所に解任からそこまでいかなくても疑問に持っている人は、そのあたりの『ジーコに責任がいかない仕組み』に対する反発も多いような気がするので、『ジーコは悪くない、選手が出来ないのが悪い』という反論は、解任派の心に火を付けるだけかなと思いますし、当然この『ジーコに責任が行かない仕組み』というのを支えたというか作ったのが川淵さんである以上、批判の矛先がサブちゃんに行くのも当然というか、仕方ないのではないかなと思う次第です。
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