スポーツを出汁にして自分や社会を語る作家先生たち

岡田斗司夫がライターではなく、作家を名乗る理由は、「ライターは注文に応じた文章を書くのが仕事、作家は自分が書きたいことを書くのが仕事、自分は注文に応じた原稿を書くという器用なことが出来ないからライターは名乗れない」という話をしていたことがありました。
金子達仁がどうしてサッカー編集者から、サッカーライターやジャーナリストにならずに、作家を名乗ったのかというのは、そういうことなんだと思うのです。
彼はサッカーではなく、サッカーに託けて自分や社会を書くようになっていた。それはやはりサッカーライターではなく、作家としての自意識なんでしょう。
金子達仁はサッカー界での賛否両論は別にして、他のスポーツ界での評判はそんなに悪くない。特にマイナー競技については、金子さんに書いてもらって、有名になりたいという気持ちもあるから、なかなか排除しづらいと言うこともあるんでしょうが、一時期参入しようとしていた競馬では、競馬サークルの村社会に排除されましたが、競馬界において、金子達仁村八分になった時は、当時の競馬サークルの閉鎖性も相成って、新鋭のスポーツライターを叩きだした閉鎖性を、競馬界の方が叩かれていたような気がする。減量中の武豊を、川口能活を落としたという、高級焼鳥屋さんに連れていった。という一件で評判落としたという逸話が、どこまで真実なのかというのが気になるところではありますが。
オグリの競馬ブーム前の競馬関係の書籍とか見ていると、そういう世間にアピールしてくれる文化人層への摺り寄りが、いまみたら滑稽なぐらいあからさまでした。競馬はギャンブルスポーツということもあったとはいえ、そういう一面は、やはりかつて日本国内でマイナースポーツだったサッカーにも残っているんだと思われる。
またああいう影響力のあるオールラウンダーみたいな人が参入しないと、競技を知り尽くしていると言えば聞こえが良いけど、既得権の記者が情報と供給を独占している業界というのも、日本のスポーツ界は沢山あるわけで、やっぱりそういう人が役に立つ局面もあるというのは、久保武司のサカマガ掲載のスクープや、杉山茂樹の協会批判記事など見ると、認めざるを得ない部分も大きい。
あと金子達仁に関しては、二宮清純にしても、日比野克彦に関してもそうだけど、作家型でオールラウンダー的にスポーツを取り上げている人を、目指している人はライターの卵、スポーツ作家を志している人には多い印象はやっぱりあるし、そういう人たちの尊敬は集めているように見える。
たたその一方で、スポーツ全方位型のライターは、なんか信用が出来ないと言ってたのは、須田鷹雄だけれども、その気持ちも何となく分かるんだよね、この面子見てると余計に(笑)。
とりあえずサッカーに託けて社会を語ったり、競馬に託けて自分を語ったりするのは、もうお腹いっぱいかなと、スポーツを語ることの楽しみは、競技の本質を語るだけでも楽しい、というような次元にファンの成熟度は確実に上がっていると思うのです。

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