1986年と88年の『ABCお笑い新人グランプリ』の資料映像を見ました

千日前で時間潰しを考えた時に、あんまり長いものは見れないと思ったので、ワッハの資料室で録画時間が短いものとして、昔の『ABCお笑い新人グランプリ』を観賞してきました。思ったより短くて二本も見れてしまいました(笑)。

『第33回ホリデーワイド '86ABC漫才・落語新人コンクール』1986年1月15日放送分

出演者は漫才はまるむし商店、非常階段、松竹梅(コント松竹梅という表記時代もあり)、ザ・ポテト、ソフィアの五組、落語は桂三太(現・桂枝三郎)、笑福亭伯枝、桂枝女太の三人、芸の指向性が違うから仕方ないとはいえ。落語家が全て現在も活躍されている方々なのに対して、漫才部門の出演者で、現在もコンビが存続しているのは、まるむし商店一組だけというのに、時の流れを感じます。審査員は藤本義一、山本明、海老名香葉子新野新山内久司の五人。
オープニングがスクールメイツみたいな人たちのダンスで、出演者が順に登場して、それに合わせて踊るという、木っ恥ずかしい内容で時代を感じる。司会が乾浩明アナウンサーと桂三枝、そして女性の方、この当時の三枝師匠は、いまの藤井君のような軽妙な司会、バラエティ畑で有名だった乾浩明アナとも、良い組み合わせで進めていきます。
本番前にこの二年前の最優秀と奨励賞のダウンタウンとハイヒールが登場、後輩達の激励ということですが、ハイヒールはこれで仕事終わりだけど、ダウンタウンはこの後にゲスト漫才ということで、モニターの前の僕もテンションが一気に上がる(笑)。24年前のダウンタウンとハイヒールは、松本人志はとにかく眠そう、浜ちゃんはこの頃から三枝師匠相手に、「さんちゃん」と突っかかっていく、むしろ松本人志の方が、そういう浜田の強気な姿勢に慣れずにいる感じ。ハイヒールはリンゴさんが結構可愛くて、モモコが案外いけてない。ただ二人とも、いや非常階段もソフィアも、とにかく塗りたくっている厚化粧が、時代を感じさせる。実際は違うだろうけど、いまのモモコさん、リンゴさん、シルクさんのほうが、ナチュラルメイクに見えるぐらい。メイク技術の進歩を感じる。
ハイヒールが「非常階段が賞取ったら困ります」という、結構本音っぽいコメントの後で、松ちゃんの「僕たちもまるむし商店が賞取らないことを願います」という、心にも思っていなさそうなコメントで、オープニングが終了しました。
この後は芸人さん本人が登場の、自己紹介VTRや師匠との絡みといった。本人達が全く得しない、100%スベっている紹介VTRを受けて、コントは違うけど、漫才の人は所謂ちりとてちんの出囃子での登場に時代を感じさせる。

まるむし商店 漫才「理想的な校長と体育教師」

ツカミでいきなり、この頃のまるむし商店がやっていた、瞬間を切り取るというショートコントをやっていて、「卒業写真あるある」を初めて、「おいおい、この時代とはいえ賞レースで、いきなりツカミでショートコントかよ」と思っていたら、当時の代表作なのは知っているけれども、もう典型的な学校あるあるネタは、時代を越えて萎えましたわ(笑)。藤崎マーケットよ、いま君たちが進んでいる路線は、まるむし商店一直線だぞ、それでいいのか!?(苦笑)

非常階段 漫才「比較OL講座」

シルクさんは絶対にいまの方が若いと思う(笑)。いや僕は当然のように予後知識として、この年は非常階段が賞をとったのは知っているわけですが、いやこれも当時の非常階段の代表作だけど、それはもちろん知っているけれど、吉本のこの当時に「NEXTダウンタウン」と「NEXTハイヒール」だった、まるむし商店と非常階段が、あるあるのショートコントを賞レースにかけてくるという、志の低さにガッカリしました。優勝の非常階段でコレというのに、今後の出演者に対して、物凄い危惧を覚えました(笑)。

松竹梅 コント「おニャン子クラブのオーディション前日の練習」

紹介VTRに事務所の社長役で、何故か松本竜介さんが登場していたけど、この時期はもう吉本辞めてる時期なのですが、大阪でフリーだったのか、松本竜介の個人事務所にいたのか、もう当時は既にホリプロやサワズカンパニーにいたのか、いまいち良く分からない。鉄板の女装コントでしたが、なんかコントはヒップアップみたいでした。しかしこの頃は松竹梅、後に大滝エージェンシーダックスープが受賞、そしてほぼフリーだったコントーズの決勝進出、やっぱり吉本や松竹じゃないと、決勝に残れないということはない大会です。
この間に落語の演目があったのですが、僕は落語は詳しくないので、感想など話にしておきます。ただ演目ぐらいはメモしておくべきだったなあ。

ザ・ポテト 漫才

スミマセン、枕以外の印象がありません。ネタの内容もメモし忘れました。ただチャンバラトリオの弟子として紹介されていましたが、いのっちょがNSC1期生で、現在は原SHOW太として、現在は馬おじさん活動している方だと気付いてビックリしました。『お笑いスター誕生!!』にも出場経験のあるコンビでした。
この後は最後の奨励賞を取ったソフィアの漫才の後で、ダウンタウンのゲスト漫才だと思ったら、ここで保存されていた部分が終了って、ダウンタウンのゲスト漫才だけを楽しみに、ここまで我慢してきたのを帰してほしい(笑)。いやー今年のABC決勝を、最もレベルが低い大会といった皆様へ、過去の歴史にはまだまだレベルが低い大会があったよ(苦笑)。
ちなみにこの年は漫才部門が非常階段、落語部門が桂枝女太、奨励賞がソフィアでした。

『第9回ABC漫才・落語新人コンクール』1988年1月15日放送分

思ったより早く終わったこともあり、次の年もと思ったけど資料がなかったので、翌々年の同大会を見ることにしました。審査員は山本明が井上弘に変わった以外は、一昨年と同じメンバー、三枝師匠と乾アナは続投していたけど、アシスタントが東ちづるだったのが、時代と当時の関西のテレビ界を思い出させる。
今回の出演者は、漫才部門がオールディーズ(木村祐一がメンバー)、和光亭幸助・福助(現・幸助・福助)、ビッグブラザーズ(竹井輝彦がメンバー)、ヤンキース長原成樹がメンバー)、ライム・ライト(別所清一(吉本新喜劇)がメンバー)、落語部門が笑福亭三喬、桂坊枝、そしてこの年に新設された諸芸部門というのが、ミモファルス、久保田洸生なんですが、落語部門と諸芸部門というのが、二人で争って大賞を決めるということが、本当にこれで良いのか? というのが疑問なんのと、この後の話になりますが、オールディーズが漫才なのかコントなのか、境目が微妙なネタをしているのを見ると、漫才と諸芸で部門を分けた意味が、いまいち良く分からなかったです。次の年は各部門賞と、全ての部門の中から最優秀という形になり、その次の年からは漫才・落語・諸芸を全て一つにして審査するのも分かります。

オールディーズ コント「動物学校の新任教師の紹介」

梅田花月の進行係からデビューした、中学の同級生コンビという紹介があっての登場。しかし諸芸部門が別にあって、漫才部門と言ってるのに、いきなりセンターマイク無しで、木村祐一が白衣で登場というのに、この大会の漫才と諸芸の定義をいきなり考えさせられる。三枝師匠がネタ終わりに「片方がほとんど喋らない、非常に珍しい漫才」といってたのは、「これは漫才だ」というフォローだったのでしょうが。新任教師の馬先生として紹介される栩野、そして木村が生徒の動物たちに突っこんでいく、という流れのネタですが。教師や生徒がみんな動物であるということを、一切説明しないという、かなり不親切なネタとなっているとか、最後のオチ前の1分以外は、ほとんどが木村祐一が一人喋りっぱなしで、前に向かって突っこんでいく、ほぼピンネタのような相方がいらないネタだったりとか、一昨年のまるむし商店同様に、いまの大阪の若手にも通じるような、流れというのを見て取れました。この漫才自体も天竺鼠の漫才ネタっぽいところもありました。栩野が僕の記憶よりも地味だったのと、キム兄が坊主でない所以外は、ほとんど変わっていなかったというか、木村祐一も成長してないんだな、ということを感じさせるネタでした。いまのネタも架空のものを、写真に変えて突っこんでいるだけなんだなとか。いやそれ以前に漫才部門とコント部門が分かれた年に、漫才部門で出ながらほぼコントのネタやっているのが、無用な尖り方ですよね。

和光亭幸助・福助 漫才「過去の経歴」

紹介VTRは師匠のレツゴー正児師匠との絡み、予選が25組とかいうのに、今年の93組との違いを感じる(笑)。今は無き朝日放送の旧本社前でのロケでした。幸助さんが区役所の窓口で働いていた頃、福助さんが底辺校にいた頃のエピソードを中心とした漫才、クラシカルな漫才の形ながら、テレビなのに底辺校や市役所のネタで、実際の固有名詞をバンバン出してくるなど、ツービートや紳竜の影響も感じる、なかなか攻めた漫才でした。
幸助・福助さんは、「S-1バトル」にも挑戦していたり(ジャルジャルとの対戦でメールが来た時はビックリした)、手話漫才への挑戦などで、いまも活動を続けている、この年の唯一のコンビなのも納得してしまいました。もうちょっと若ければ、もしくは東京にいたら、2010年の現在でもWコロンやロケット団的な露出が、全国のテレビでも可能ではないかと思いました。

ビッグブラザーズ 漫才「ディスコにナンパ」

紹介VTRに登場の師匠は、レツゴーじゅん師匠。あからさまな応援団が客席にいて、それを好意的に三枝師匠や番組全体も弄っているのが、現在との違いとして、いま見たら楽しい。確かにこの時期の松竹の星だったしね。ネタとしては太平サブロー・シローっぽいなあと思ったけど、タイヘイ一門として考えたら、納得できる(笑)。

ミモ・ファルス コント「少年隊」

太平サブローと平川幸男の弟子によるトリオ、紹介VTRで三人でバク転しているのに、本ネタ中にメンバーの一人がバク転出来ない、というネタが入るのはどうよ(笑)。少年隊の三人に扮して(?)、ニッキ役の人が歌が下手なのを堪えかねて、少年隊を辞めようとするのを、他のメンバーは止めるけど、というネタですが、最初の『君だけに』の歌唱シーンで、音楽がテレビ的には聞こえてるけど、どうも会場のスピーカーには流れていなかったらしく、仕切り直しになるというアクシデントがありながら、綺麗に立て直したのは見事でしたが、まあネタとしては、太平サブローと平川幸男の弟子のネタだなあ、という感じのネタでしたね(笑)。歌ネタもあって、中心は動きネタというのが、まさにWヤング太平サブロー・シローの融合という感じではありました。なんかミモ・ファルスってこんな感じだったなあ、というのを思い出させるネタではありました。ただ諸芸部門として、コント部門を実質新しく作ったのに、マイクから離れた人の音声を、マイクフォローしていないのは、朝日放送っぽいなあと思いました。

久保田洸生 ショートコント「メンチ」

MAKOTO時代の北野誠とプールバーで紹介VTR、完全なショートコントでした。これじゃあミモ・ファルスに賞あげる為のような、諸芸部門だと思ってしまった。

桂坊枝

落語部門は笑福亭三喬さんが受賞したのですが、当時、朝日放送にテレビ・ラジオのレギュラーが多かった、坊枝さんが受賞ではなかったのは、公平性を現したと思います。坊枝さんってこんなに太ってたのかと思ったなあ。

ヤンキース 漫才「悪かった自慢」

紹介VTRは予想通り紳助登場、ネタの内容はオーソドックスな、お互いの昔の不良自慢というヤンキー漫才でしたが、長原成樹の滑舌の悪ささえ目を瞑れば、村上のティーアップ前田のような、当時の流行りのボケの切れ味もか鋭いし、二人ともヴィジュアルの押しが強いし、何よりダブル紳助というべきキャラ立ちと方向性は、、いま見ても面白いという唯一のコンビでした。ここが受賞は納得というか、部門賞の設定上しかたないけど、ミモ・ファルスと同格は可哀想ですね。数年後のレギュレーションなら、ヤンキースが最優秀、ミモ・ファルス福助・幸助が優秀賞、オールディーズが審査員特別賞だったと思います。

ライム・ライト 漫才「心斎橋を歩いていたら」

中田ボタン坂田利夫の弟子コンビ、しかしの年はミモ・ファルスの岡田も、NSC1期生とはいえ、この年は弟子っ子や進行係が中心という、まだまだ旧時代の関西お笑い界の中心が、古い体制だったということを思わせます。この二年後ぐらいから、一気にこの賞レースは、弟子っ子からNSCや松竹タレントスクール卒業生に、主役が移っていくのですが。
漫才部門はヤンキース、落語部門は笑福亭三喬、諸芸部門はミモ・ファルスでしたが、落語と諸芸の決勝進出者は二組だけだったこともあり、後年にこの年の最優秀新人賞として、ヤンキースだけが扱われるのも良く分かる年でした。翌年には部門賞は維持されながらも、全体の最優秀賞が決定されることになり、さらにその次の年からは、漫才・諸芸・落語が統一されることになるのでした。
やっぱりNSC7期生という、ダウンタウンの活躍以降にお笑いを目指した世代というのが、吉本のNSCや松竹のタレントスクールに入ってからが、関西のお笑い界の変革の始まりだったんだ、というのが良く分かる改革前の二本でした。
しかしこの改革前の頃の漫才やコントと、同じ事をやっている人が、いまのbaseよしもとや松竹の若手に、どれだけいるのか、ということも同時に思ってしまったのは事実です。
しかし1986年の決勝は空席がちらほらあるのに、1988年の決勝には立見があるというのに、確実に2丁目劇場の最初のブームの雰囲気は感じました。

2丁目BOOK―ダウンタウンからピーチパイまで2丁目BOOK―ダウンタウンからピーチパイまで
吉本興業

ガキ兄弟 東京心中 放送室 1 放送室(2) 放送室の裏

by G-Tools