ベイブルースのラストステージ

「25歳と364日〜ベイブルースよ,伝説に。〜」@なんばグランド花月 - 歌季句気呼

高山が「単に河本がどんな人生を送ってきたかを書きたくてあの本を書いたのではなく,その後の最終章の「光」でやる気を取り戻したところを読んでもらいたくて,つまりは人生前向きになれるときが来るんだということを知ってもらいたくて,あの本を書いた」というようなことを言えば,修は「実はまだ河本のお墓参りをしていない。それぞれ圭修でもベイブルースでも賞をとったけど,自分たちケツカッチンで賞をとったときに,お墓参りするんや」とこれまたこちらが応援したくなるような素晴らしい決意表明をして,トークコーナーが終了。

本当のことを言うと、高山さんが他の人と漫才しているのは嫌だった。いや今でも違う人と二人で喋ってるのは、何となく寂しい思いは残る。
でもそんなことで高山さんの人生を縛って欲しくないから、10年間言わなかったけど。でもこういう記事読むと、そういう思いを一度だけ出しておきたいと思った。もう言わない。高山さんは修さんと一緒に「未来」に光を見てるんだから、過去で縛るようなことは望まない。どうかケツカッチンの漫才が、僕たちの思い出の中の圭修ベイブルースを越える日を楽しみにしたい。
しかしこうやって改めて、河本の生前のエピソードを読むと、こういうタイプの周囲を敵視し、笑いに対して表に見える厳しさを前面に出しながらも、人望があるという存在は、河本以降の大阪吉本の若手にはほとんど見られなくなった。爆笑エピソードの宝庫である、清水兄ぃ共々、大阪の一世代前の芸人気質を持った最後の世代だった。
ベイブルースのカラオケビデオのネタは覚えてる。モニターにビデオを写してそれにつっこむというネタは、この時代だと既にぜんじろうがやっていたけど、コンビなのに片方が舞台に出ないのも当時としては画期的だったし、河本のモニターからの言葉も衝撃的なフレーズが続くネタだった。若くして才能を天下に知らしめることなく逝った芸人のことは、高山さんの今後の芸人人生とは別に、やっぱり覚えて語り継いでいきたい。
ぜんじろう小高紀子と一緒に、ベイブルースのサインも入ってる、ヤンタンテレカは一生の宝に、これからもしていきます。

ベイブルース25歳と364日ベイブルース25歳と364日

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