バロディに必要なのは悪意とリスペクト
最近パロディコントが少なくなったとか、お笑い番組に対する抗議が増えて、コント番組が出来なくなったのって、ある時期からパロディをやるにあたって、対象に対して悪意ばかりが全面に立つようになったから、というのはあると思うんですよ。『ワンナイ』の「王シュレット」とか、ラジオでさんまさんが一切弁護しないで、「相手に尊敬がないパロディはアカン」と一蹴していたけど、やはり悪意とリスペクトの配分というのが、失敗している人が多いから、パロディコントって絶滅したんじゃないかと思っていました。悪意だけのものが倫理的にダメというより、そんな尖ったものばかり浴びせられても、世間や茶の間はしんどいというのが、実際なんじゃないかと思う。
「生徒会の一存」と「ウッチャンナンチャン」 - パロディのあり方と変容について考える - さよならストレンジャー・ザン・パラダイス
そしてこういうネタ元にリスペクトを感じさせるパロディコントというと、やはりウッチャンナンチャンですね。そしてウンナンを最後に、ほぼ見かけなくなった。しかしこのリスペクトこそが、ウンナンの番組に、漂っているやさしい雰囲気の一部ではないかとも考えるのです。
たまにバカリズムがやるパロディネタは、ウンナンイズムを感じることはあるけど、それぐらいのものか?
バカリズムオフィシャルブログ 架空升野日記
OLのやっているようなブログのパロディ、すげえビックリするぐらいに、普通の日記ブログをロールプレイできてる!! やっぱりこの人メインで、パロディコントする番組見たいわ。
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