プロがこんな事言うのはイカンし、言わせてしまったのはもっとイカン

まず基本的にどんな業界でも、いま自分が生業にしている職業が好きでないという人は多い、それは芸能人、スポーツ選手、作家や漫画家といった人たちでも例外ではなく、ゲームや漫画が嫌い、呼んでる奴は頭が悪いみたいなことを言ってる人で、名作を世に送り出している人は何人もいる、だから「好きこそ物の上手なれ」と言うけれども、プロのサッカー選手がサッカー嫌いなんて事も、当然のようにあるのです。実際に名野球選手で、本当はサッカーやゴルフのプロになりたいということを、公言する人は沢山います。でもこの言い方はあまりにも辛く寂しい。

[N] 東京ベルディ・宮坂翔「僕はサッカーが嫌いです」

もしこれがプロ5年目、10年目の20代後半や30代の選手の言葉なら、選手本人に対して口汚い罵りをぶつけて「こんなプロ失格の奴は、とっとと止めちまえ」と言ったかも知れないです。しかし高卒プロ二年目の選手ということを考えれば、これはあまりにも事情が違いすぎる。

いたたまれない - 喧々諤々

基本的に彼個人の資質に問題があったことは間違いない、しかしこういう精神的に不安定な、社会に出たばかりの子供のような選手をきちんと導けなかったのは、明らかにヴェルディチームスタッフの責任であり、監督やコーチであるラモスや柱谷に一番の責を負わせるべきだと、僕も思います。
いまヴェルディはラモスとフロントが激しく対立して、サポーターもそれに乗っかって、チケットの不買運動とかやって、フロントを叩いているんだけど、僕はヴェルディのフロントは確かにダメダメかも知れないけど、それと対立しているラモス派の人たちが良いとは、ちっとも思えないのです。

東京Vサポーターが抗議の不買運動(サッカー) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

僕はヴェルディのフロントは最悪かも知れないけど、でもラモスや柱谷哲二が、それより良いという風にはとても思えないし、それはヴェルディのフロントの人も同じ気持ちだったから、「名選手ならいいのか」という言葉にもなったんでしょう。少なくともこの宮坂の一例だけで判断しても、僕はラモス一派にチームの改革や、健全な組織運営が務まるとは到底思えないです。ラモスの言うことに黙ってついて行ける人達だけが、旧態的な体育会系の精神論でとまれる人達だけが、住みやすい組織になるのは目に見えている気がして仕方ない。
だからヴェルディのサポーターで、ラモスを旗印にして抗議活動している人は、もう少し冷静になったら? という風に思ってしまいます。
しかしよみうり系は、野球にしろ、サッカーにしろ、OBがしゃしゃり出て足を引っ張るというのは、ある意味チームの伝統になっていますよねえ、この悪しき伝統を何とかしたいだからこそ“1969”の数字もチーム名から外したというのは、それなりに分かってるんじゃないかなあ?
このチームの真の改革も、「読売クラブ時代を知らないヴェルディOB」が、発言力を持ってチームに帰ってきた頃からじゃないと、始められないんじゃないか? という気がしてきています。

サッカー劇場へようこそ―その面白さ、楽しさ、美しさを語り合うためにサッカー劇場へようこそ―その面白さ、楽しさ、美しさを語り合うために
湯浅健二

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