北京オリンピック・柔道男子60キロ級、女子48キロ級

asahi.com(朝日新聞社):柔道・平岡は初戦で敗退 男子60キロ級 - スポーツ

男子60キロについては、こうなるんだったら野村選手で、という声も出かねないシチュエーションだっただけに、残念な限りです。

asahi.com(朝日新聞社):谷、準決勝で敗れる 五輪3連覇ならず - スポーツ

谷に関しては、僕ははっきりとアンチなので、準決勝での敗戦は「ざまあみろ」という気持ちしか起きない非国民です。というか結構、アンチは多い様に思うのに、あんな国民全員のヒーロー扱いされているのか、意味がわからんです。あの一部で言われている疑惑の判定に関しては、そんなに問題視は、アンチとか関係なくしないですけどね、あの判定に対する解説としては、こちらのコメント欄も参考にしてください。

谷亮子、意地の1本で銅!日本人メダル第1号!…柔道女子:柔道:北京五輪:スポーツ報知

チームリーダーのはずの人の、微妙に他人事っぽい感想が気になる。なんか谷って、柔道チームの中で、どうしても孤立しているイメージが拭えない。
しかし初日から「柔道か? JUDOか?」みたいなくだらない話が、出てくるのかと言うことを予感させられて、うんざりとした展開になりそうです。強かったらサンボやモンゴル相撲の人でも、日本の大相撲で活躍している様に、強かったら柔道だろうが、JUDOだろうが、関係なく勝つんですよ、という思いはもちろんあるけれども、世界の趨勢がそっちに流れているのなら、それは仕方ないことですよ、それがいやなら国際柔道に選手を送るのは止めて、日本に引きこもっていればいいだけの話です。世界の趨勢がそっちに流れることを、止められなかった方が負けですし、それでも良いからと柔道を世界に広めたのは日本人です。
しかし野球だと、ベースボール発祥の地のアメリカの元々の形よりも、日本が作り上げた伝統の形がある、ということをいうのに、柔道になると、いま柔道が日本より盛んなフランスとかが、そういうことを言い出すのに憤るというのは、あまり健康的でないというか、そういう所が日本の弱さなんでしょう。
例えば「きちんと組んで戦って負ける」のと、「きちんと組まないで勝つ」のだったら、前者の方が正しいというのは、それは武道の正義であって、スポーツとは言わないですよね、柔道はオリンピック競技にした段階で、武道ではなくスポーツになったし、もはや柔道人口は、欧州の方が多いことを受け入れないといけない。この辺はさっきの野球とベースボールで、話を置き換えていったら、凄い日本人にも話が分かりやすいと思うんですよね、「日本の野球は、正しいベースボールではない」とアメリカ人に言われた時に、日本人はどう思った? という話でしょう。だからアメリカは、自分たちの手から、ベースボールが離れて、国際化していくのが嫌だから、メジャーリーグは五輪に協力しないで、WBCを自らのお手盛りでやることに拘る、という分かりやすい話です。
少なくとも四年に一度、オリンピックでしか見ていない人が、自分が日本人であるという事だけを根拠にして、「JUDOなんか見たくない、私たちは柔道を見たい」という資格は無いでしょう。年がら年中、柔道のことを考えている沢山のフランス人やオランダ人に失礼です。
そもそも嘉納治五郎が古来よりの柔術を、近代柔道に変革してい……、という話はボロを出しかねないので、同じ考えで物知りな人に任せる(笑)。