テレビのバラエティを殺したのはバブルを引きずっている関係者の責任

平気で片岡飛鳥をほめる人たち - おわライター疾走

昨日も「めちゃイケ」の話が出たけど、結局今の「めちゃイケ」の価値というのは、レギュラーメンバー以外にとっては、本来は「長く続いている番組」という以上の価値はないと思うんですよね、しかし現在の若手から中堅のお笑いシーンというのは、テレビにおいて基本的に「仲間ごっこ」になっているから、そういう意味で例えばダイノジの大谷とかが「めちゃイケ」を絶賛するのは、そんなに分からない話ではない。芸人やテレビ作家から批判が出ないのは、それはそれでどうかとも思うけど、仕方ない所はあると思う。
しかし評論家やライターみたいな人たちが、その物語に安易に乗っかって、片岡飛鳥に対するヨイショ記事を垂れ流しているというのは、ラリーさんも言うように、視聴者がテレビ関係者だけでなく、テレビの語り手にも舐められていることだと思う。横澤さんみたいにある程度リタイアしたOBもそれは同じでしょう。ナンシー関が存命だったら、一番いま評論を聞きたい番組って、「めちゃイケ」だよなあと、ここ数年ずっと思っています。

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だから横澤さんが指摘していることは各論最もなんですけど、いまそういう状況にバラエティが例えば「同じ構成作家が各局たらい回し状態で使われているような話も聞く」とかいうのは、貴方がフジテレビや吉本興業にいた時期に、そういうものが培われていったんじゃないの? という疑問はどうしても残りますよね。

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あとコント番組が「放送コードが厳しくなっている」というのや、「放送局や番組スタッフが努力や冒険しなくなった」という事以外に、予算の問題があると言われるけど、でも例えば「オレたちひょうきん族」を筆頭に、とんねるずウンナンダウンタウンの番組とかって、要はバブル期の番組じゃないですか、あんな日本の経済がおかしい時期の、異常なぐらいにお金があった頃の基準が標準になっていて、あのぐらいの予算規模がないと「コント番組が作れない」という感覚の方が歪んでませんでしょうか?
それこそクレイジーキャッツや「てなもんや三度笠」の時代は、バラエティ番組やコント番組に、そんなにふんだんな予算があったとはとても思えない。だっていまそのお金がかからないと言われているクイズ番組とかでも、賞金やら番組セットや出演者のギャラとか計算すると、一本の番組作るのに結構なお金かかっている訳じゃないですか、コント番組やるよりもクイズ番組で1000万円前後の賞金をはき出して、一人当たり数十万もギャラ払うタレントが何十人も出ている番組を作る方が、安上がりというのは、現在のコント番組の作り方のベーシックな常識というのが、金食い虫になりすぎているということじゃないのかな?
コント番組が実際に作られないというところまで来ているのなら、「クロマキーでCGでは雰囲気が出ない、実際にセット組まないと」とかいう事自体が贅沢病じゃないの? 実際にそこを拒否していないから、例えばCSで爆笑問題は、「爆チュー問題」とはいえコント出来ている訳じゃないですが、なんか「予算がないから、制作が厳しいからコント番組が作れない」ではなくて、「予算もなくて、放送コードも厳しいからこそ出来ること」というのを模索しない状況は、単に予算や規制を言い訳にして、手を抜いてるだけじゃないの? という風に思うし、この状態を良しとしているという意味では、僕にはみんな等しく責任があるように思います。

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