検索ちゃんでの品川祐 : YouTube

気持ちは分かるけど、それは言っちゃいけないかもなあ、だってお笑い芸人しかお笑いを論評するなと言ったら、映画や音楽や小説だってそうなるわけで、ここでこんな事言ってる人たちはほぼ全員、トーク番組とか情報番組、ラジオなどで評論的な仕事もしている訳じゃないですか、むしろお笑い芸人のメディアでのメインの仕事は、どちらかというとそういう他の分野の物を語ることが中心になってきている、お笑い芸人が他の分野について論評しても良いけど、他の分野の評論はしても良いなんてことは許されないし、元々お笑いっていうのが、かわら長介さんも言ってるように、他のことを評論していることなんだから、こういうことを言うのは、自分で自分のクビ締めているような気がします。
だってこれを拡大解釈したら、政治とかに対する論評は、政治家しかしちゃいけないということになりますよ、自分は言うけど、言われたくないというのは、太田さんとかが嫌っているネットの掲示板の匿名投稿とかと同じじゃないですか。まあ評論されるのが嫌というより、ほめられるしか嫌ということなんだろうけど、それは大人のプロとしてはひ弱ですよ、これは芸人さんだけでなく、漫画家とかゲームやアニメ制作者にも言えることでしょうが、欧米では評論が盛んなのは、この辺のクリエイターの大人としての社会性を強く求めるところがあるからというのは、本当なんでしょうか? 日本のクリエイターはなんだかんだ言っても守られてるから、評論とかにたいしてひ弱というのは、良く聞くんですが、欧米と日本ってそんなに評論とかに対するクリエイターの対応に違いあるもんなんでしょうか?
まあまだテレビお笑い界というのが、実はそんなに長い歴史もないわけで、何年か前までひょうきん族とかダウンタウンの出始めの頃とかで、売り出しの際に評論家とかのコメントをありがたがって使っていた時代を経て、そういうのを嫌がる時代を経て、また次の世代になったら変わってくるとは思いますけどね、特に次の世代はオンバトとかM-1を子供の頃から見ている人たちが、芸人になるわけだから、お笑いが評価・評論されるのが当たり前という認識の世代が芸人さんになる時代になったら、またもう一つ変わってきそうです。M-1は売れてる芸人さんがやるから違うという人いるけど、準決勝までの審査員は別に芸人さんじゃないんだしね、あと若い世代ということで言えば、そういう世代が評論家とかになったら、それはそれで芸人さんに対するリスペクトが一段違うと思うから、また違ったものも出てくるんじゃないかなと思っていますが。
逆にこの辺に対する強さが凄くあるのは、明石家さんま笑福亭鶴瓶の二人だと思う、あと少し方向性が違うけどタモリ松本人志。自分に自信がある人たちはなに言われても気にしないし、全てを自分の力に変えてしまえる。

検索ちゃんでの品川祐 : YouTube:昨日の風はどんなのだっけ? : 一汁一菜絵日記帳

トラバ返しですが、さんまさんの強さという話に繋げることが出来るんですが、さんまさんってアイドルとか後輩を泣かすパターンとして、映画とか番組にたいして「おもんない」と断じて、「一生懸命頑張って作ったんです」と反応されたら、「一生懸命やってこの出来なんて余計に悪いやないか」と一刀両断して泣かすパターンが多いんですよね、特にラジオだとその辺容赦なくなる。この辺の頑張り主義的なところに逃げ場所を求めない、むしろそういう頑張り主義的なものに対して、憎しみさえ持っているなあと感じるときがラジオなんか聞いてると多々あります。
ここにさんまさんがいたら、「評論家に文句の付けようがないぐらい、面白いことをすればいい」「頑張ってやってるのに、つまらないなんて最悪やないか」と説教パターンに入るだろうなあと思いました。
追記)リンク先のコメント欄の流れなんですけど、そう太田とか土田とか品川とか、普段のトークで政治とかサッカーとかアニメとかの批評や評論をしている連中が、率先してお笑いの評論とかされることに怒ってるのが、自分の普段やっていること分かっているの? というところですよね。自分は他の批評や評論をしても良いけど、自分たちがされるのは嫌というのは、プライドじゃなくて単なるワガママですよ。

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西条昇


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