「ゆとり教育」という言葉にこだわる

この問題って学力調査だけでなく、「ゆとり教育」を実施してからの『いじめ・校内暴力』『生徒の補導件数』『登校拒否率』『社会活動、芸術活動、地域ボランティアなどへの参加意欲度』とかそういうものも同様に調べてみないとアンフェアーな感じもしています。優れた人間より良い奴の方が量産されるには役立つし、優れた人間はかってに育つとか思うところもあるし。
でもいまの文部省の「ゆとり教育」がこういうことの向上に役立っているかも疑問だけど、結局「空気」に振り回されている子供は良い迷惑だと思うし、昨今の空気は確かにうっとおしい。明石家さんまが結婚した際に当時の奥様と子育ての方針について話した際に『うちはアホでいこう、心が優しかったらそれで良いことにしよう』という方針を打ち立てて、中学生に全自動麻雀卓を買い与えたりしていましたが、息子さんは立派にええとこの大学いってるとか、こういうのは極端な例かもしんないけど、なんかうさんくさいもん感じるんだよなあ、「ゆとり教育」とか「詰め込み教育」の問題じゃなくて、いま学んでも大人になってそれを発揮する場所があるのかという不安の方が、学習意欲という点では一番重要なんじゃないのとかもたまに思ったりします。(極東ブログ