消費されるアーティストという存在

昨日の宇多田ネタにいくつかリファが入ったので、ご紹介がてら話題にさせて頂きます。id:tropicalmandara:20040408#p3で紹介されていた部分については、自分が見ていたときにはなかった部分で追記された部分と思われるのでご紹介します。

簡単な話。リリース形態、露出、イメージ戦略その他もろもろ。
「アーティスト」を長期的な視点でどうアピールし続けていくのか。
もっと言ってしまえばブランド価値をどう長持ちさせるのかってこと。
それに成功したかどうかってだけのことじゃん。


そんなのあからさまな企業責任なのに、なんでこうなっちゃってんだろうか。
逆ギレするのは勝手だけど、それで思い通りにいかないからって、政府まで連れてくるんだもんなあ。
Waste of Pops 80s-90s 4月7日

これはすげえ分かる、というかそんな話しをこの日まさに現場の人に相談されていたばかりだったので本当によく分かります。話しは全然変わっちゃうけど、僕は以前に岡田斗司夫安田大サーカスのことを『「笑っていいとも!」あたりでレギュラーになって、いま彼らが持っている「フリークス感」も消費されてしまうんだろうなー。』と言っていたのを紹介しましたが、それも全く同じ話しなんだと思う。
結局、芸人でもミュージシャンでも一過性のブームとして消費させちゃってどれだけの人達が消えていったんだろうと本当に悔しく思うこともある。
これを自分は「金儲けのためにロックやってんじゃねえ」的な話しだとは思わない、ブランドイメージを長く売っていくことが、一過性のブームで儲けることより儲けが薄いとは決して思わないから、そりゃ新しい人材を使い捨てれる分にはそれで良いのかもしれないけど、絶対にそんなのはいつかガタが来るというかもう来てるか。
昔は現場で見ていてもヒドイ会社だと思っていたけど、最近のよゐこやオセロのプロモーションはそういったことをかなり考えていると思うので(特に濱口さんと有野さんのソロ仕事の配分は絶妙)、松竹芸能安田大サーカスはまだ大丈夫かなと思うけど、笑い飯は心配だなあ小倉優子との深夜番組とか見る限り、本当に無難なところ無難なところで消費されちゃう危険性を感じてしまいます。
あと珍走団同様、珍Dは定着させたいです(笑)。