音楽は誰のモノか?

いささか旧聞になってしまいましたが、正直大ネタがない日のほうが注目されると思っていたので寝かせていたのですが、もうなんか毎日のように大ネタがはいるので、最も埋もれそうな今日にやってしまいます(笑)。今度はイーグルスドン・ヘンリーアメリカの音楽業界に警鐘を鳴らしている記事の翻訳、QUEENブライアン・メイといい*1、しっかりとした問題意識、産業構造と実際の音楽のあり方など、本当に正義を示しつつ、理想論だけじゃない頭の良さ、なんか本当に日本の自称・アーティストな人達と次元違いすぎるわ。
言っちゃ悪いけど、同時期に奥田民生がCCCDについて長めのコメントをしたことが話題になりましたが、はっきりいって前者お二人と比べて格の違いをまざまざと見せつけられていると言わざるを得ません。
この問題はミュージックマシーンさんでも少し触れていますが(2004年3月11日(木))、音質問題や再生保障問題というのは、もはや枝葉だと思う。ミュージシャン、アーティストといわれる人達が現在の音楽ビジネス、産業構造、その他諸々についての考え、思想のようなものに対する踏み絵だと思います。だから佐野元春とか奥田民生のような音楽姿勢だった人がCCCDで音源を出した時に反発があるのは当然なんです。
そういう思想、政治的なことではなく、ミュージシャンであること、音楽家として生きるために必要な思想性を終夜突き付けられながら生きているからこそ、欧米で生き残り大御所となっているドン・ヘンリーブライアン・メイといった方々からはこのようにしっかりとした言説が出てくるんだと思います。日本はそういうこと要求されないからね、才能が枯れたらエコや世界平和に走るだけで、『思想性のあるアーティスト』と崇められるおめでたさが生きている。正直、僕の中では民夫もこの程度だったかという印象、坂本龍一窪塚さんなんかと同じだったのかと思ってしまいました。
なお私の情報源となった『音楽配信メモ』では、ドン・ヘンリーの論文のラジオ曲について触れた文章は、こちらも併読すると理解が深まるそうなので、是非読んでみてください。

*1:参照:id:toronei:20040116#p10