Amazon狩り事件

この件も触れようと思って寝かしていたら、とりあえず今回はそれではなかったということが分かりましたが、依然、というかますます今後そうなる危惧は捨てきれなくなったわけです。僕は何度もいってますが、何度でも言いますが、鈴木みそ先生が『アジアを喰う』鈴木みそ/双葉社)の154ページで『マンガやTVは中毒です。数ヶ月はなれるとどうでもよくなりまっせ』という台詞がありますが、これはそのまま音楽という言葉にも入れ替えることが可能です。
日本は諸外国と比べて、沖縄などの例外を除けば、それほど音楽が日常生活に必需品として浸透しているとは、少なくとも衣食住と同レベルの次元で浸透している現状はありません。現実に一時期はよく音楽を聴いていたという人でも、最近は全然新譜どころか昔好きだった歌も聴かない。車で聴くのはもっぱらAMラジオという人も決して少数派ではありません。もはや日本人の日常アイテムとなっているカラオケだって、10年前、20年前の曲を知っていれば充分に楽しめます。
やっぱり音楽の視聴機会を増やすということは、業界……いや産業全体の発育を促す重要なことなのです。最近のレコード会社やJASRACがやっていることは自分たちの売ってるものが水やガス、電気と同じと思っている勘違いです。視聴機会が無くなれば音楽市場なんて簡単に縮小します。ましてや日本のほとんどは音楽文化なんてものは根付いていないか、なくなっているのですから。
やっぱり輸入権CCCDネットラジオといった問題は視聴機会を妨げ、音楽ファンという土壌を確実に減らしているだけでしょう。少なくともタワシさんこんこんさんのような新しい市場はもう生まれないし、もう市場に組み込まれていた層まで手放すことになるでしょう。
本当に音楽なんて聴かなくなったら一発で不要になるものです。いまの僕は日中BGMがないと生きていけない人間となっていますが、ほんの数年前まではなくても生きていける人だった訳で、いつそう戻ってもおかしくないわけです。
最後にちょっと違う話題ですが、上のリンク先でこんこんさんが、『あとおりたさんの日記のタイトルが古今東西の楽曲名になっていることに最近ようやく気が付きました。前々から薄々そうかなとは思っていたのですが、日本語の場合知らない物が多すぎたので。』という形で触れていて、それは全くその通りなんですが、id:tayasuyowasiさんをはじめ、古今東西の楽曲タイトルをはてなの日付につけている方が僕の巡回先で何人か目につくんですが、もしかして僕が発信源だったりします?(笑) 自意識過剰かも知れませんが、前々から聞いてみたかった(笑)。
まあ一日で複数のネタを扱う方は日付タイトルの扱い苦労してますからね(笑)。ちなみに僕はフェイバリットというよりはその日に聞いたり鼻歌にした中で最も印象的な楽曲名にしています。だから時々無理があるし、早くも二回目だったりするのもあるわけです(笑)。