いまの代表にカズは必要だけど入れてはいけない

Twitterで代表の応援において、『翼をください』での応援というのが、どうしてフランス大会以降定着しなかったのか、という話題あたりを発端にして、協会が日本人の多くが一体感を持って応援できるスタイル作り、雰囲気作りについて軽視していて、「ジーコ黄金の中盤」とか「ベスト4」とか「ワールドカップ再招致」といった、起爆剤的なものばかりを追い求めているようで、そういう足元を見ないやり方というのが、ますます代表離れというのをサッカーファンに起こしている。
Jリーグがあれば、日本代表は別にいらないというのは、自分と自分の半径数メートルさえよければ良いという、無責任な言説です。Jリーグがもっと盛り上がるためには、サッカーに日常的に関心の薄い層を巻き込んでいくことを、止めてしまってはいけない。そしていつもはクラブを別々に応援している人たちが、この時だけはみんなで一つのものを応援するという、Jリーグが日常ならば、代表というハレの場というのは、両翼でないといけない。日本はついハレの場だけを追い求めたり、日常だけに籠もったりするけど、それはどちらも健全といえる状態ではない。
しかしいま代表において、協会と現場とファンとの間に、対象に対する距離感というか、盛り上がるための共通意識のバランスの違いが出来ている。それはサッカーに対する日常感というのを持っている層を、協会やメディア、代理店などが拾うことが出来なくなり、一体感のギミックとして起爆剤みたいなものばかり提示して、いま既にサッカー界の中にいる人たちが盛り上がれなくなっている。中の人たちが盛り上がっていなければ、ハレの場だけを求めてくるような、ミーハーな人たちも寄ってくるわけがありません。中にいる人たちが楽しそうにしていないと、外から人が入ってくるわけがない。だからといって中の人たちが内向きに楽しんでいては、それも外から人はやってこない。このバランスを協会もファンも分かっていない。少なくともいまの日本のサッカー状況では、「ワールドカップを自国開催する」ぐらいしか通用する起爆剤はないでしょう。
いやもう一つだけ、マニアもミーハーも喜ぶ、一体感を持つことが出来る起爆剤はあります。サポーター対策や、世間やメディアに向けたことだけでなく、チームにとっても有用な存在、カズという最後の切り札は残っている。しかしこのカードは、僕は切るべきではないカードだと考えています。
「カズを代表に」「カズをワールドカップに連れていこう」というのは、普段ロジカルな物の見方しかしないような人が、途端にロジカルな思考を放棄するような麻薬です。でももう日本のサッカーは、麻薬的な起爆剤に頼るべき段階には来ていない。それなのに協会や代理店は、いつまでも麻薬的な起爆剤ばかり仕掛けてくるのが、いまの代表の盛り下がりの要因になっています。
しかしカズという麻薬は絶大です。おそらく多くの起爆剤が効かなくなった人たちにも、通用する効果抜群でしょう。しかしもう麻薬を起爆剤にして、代表を盛り上げていくというやり方自体を、僕たちは強く否定していかないといけないんです。これを認めたら、僕たちは協会と代理店がやってきたことを、もう否定できなくなるでしょうし、代表は協会は、いつまでも今の体質から抜け出すことは、永久に出来なくなるでしょう。
それにカズについては、もう何かの目隠しに利用されるのは、勘弁して欲しいという風にしか感じない。本人がいくら働きたくても、僕もワールドカップでカズを働かせてあげたいけど、それはジーコオシムへの非礼を繰り返すだけです。
あと僕はカズを、いま代表に合流させることが、本当にチームにポジティヴな要素を与えるか? ということにも若干の疑問があるのです。2002年の代表チームにも、カズがコーチングスタッフで合流するという話がありました。しかしトルシエのチームにおいては、カズは代表招集や、試合出場もしていたように、途中までとはいえチームの一員として存在していました。
また最終的に代表メンバーに、精神的支柱として入った中山や秋田、また最終メンバーには入らなかったけど、藤田にしても、ある時期から試合には出ていなかったけど、代表には度々呼ばれていたし、合宿には参加していたように、チームとしての一体感をつくるメンバーとして、招集され続けていました。精神的支柱というのは、あくまでもチームが内側から作り上げていくもので、決して上からトップダウンで与えられるものではないはずです。いまここで新たにチームのリーダーを入れるのは、チームのバランスを良い方向に持っていかないでしょう。どうしてもカズを代表チームに入れるのなら、そのポジションは新しい監督の副官、もしくはカズ自身が監督というところしかないでしょう。まあそんな現実的でない話はおいといて、そもそもいまカズのような存在が、チームに必要だという話が出る時点で、いまのチーム作りが破綻していることを物語っている。
もう日本代表は、日本のサッカー界は、少しずつ積み上げていくもので、大輪を咲かせることを考えていかないといけない段階で、必要なのはカズではなく、一人一人がカズの気持ちを心に持った23人、いや何万、何百万の心に小さなカズがいる人たちが、日本のサッカーを思い、代表を支援していくことが必要なのです。ここでカズに頼っては、いつまでも日本サッカーは、誰か一人に頼るやり方から、いつまでたっても離れられなくなっていく。
カズの遺伝子というのは、2002年にゴンちゃんが植え付けて、それをモリシやヒデは受け取っていたと思うし。秋田もジーコの遺伝子を残していたと思う。ところが02大会後にジーコそのものを入れて、ジーコだけの責任ではないんだけど、ジーコや川淵さん、その他諸々色んな人たちがしなくてもいいリセットを何度もしたせいで、結局、カズの遺伝子も、ジーコの遺伝子も、トルシエの遺伝子も、つい最近のオシムの遺伝子ですら、残らなくなってしまった。ここでカズを入れても、また劇物でのリセットにしかならない気がする。じやあ次は中田英寿という劇物でもほりこみましょうか、というようなことをいつまでも繰り返してしまう。
結局、2002年の後というのは、代表もJリーグもサッカー環境も普及もコツコツやるしかなかったのに、高度成長期のような大きな事でジャンプアップということを、いつまで経っても延々と繰り返したのが良くなかった。
僕はここ数ヶ月の日本サッカーの話題で、家本さんのウェンブリーで笛を吹くというニュースは、最大のポジティヴニュースだと思っているんですが、やっぱりコツコツ精進した人が、結果を出すようになって、評価に直結してご褒美が与えられるというのは、代表を運営している人に見習って欲しいし、代表をサッカーを語る人たちは、どんなに心が弱っていても、ロジカルな思考だけは、決して捨ててはいけない。自分の弱った心を、カズに助けてもらいたいだけになってはいけない。それはカズに失礼ですし、カズが昨今示しているメンリティに反している。

しかしそういうメンタル空間を作れる選手を、どうしてここまで招集していなかったのか、いまの代表はムードメーカー役になれるのが駒野だけ、という話が本当なのかは気になってる。例えばベテランの遠藤や中澤とか、パッと見でお調子者っぽい、稲本や大久保、闘莉王とかも、根が生真面目な人たちが多い印象があって、それがいまの暗いイメージにもなっている。
そういう意味で、僕は土屋と播戸をやっぱり代表には呼んで欲しかった。最終的にメンバーから外れたとしても、ある時期にああいう選手がいることは、チームにああいう遺伝子を残すことが出来たように思う。

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