全てのエンタメ業界が背負っている構造的問題を一緒にして考える

色んな話を詰め込む上に、最後は周辺……でもないか、少し遠い先であったことの愚痴を、無理矢理つなげる話なので、その辺はご理解した上で読んでください。

コンテンツ業界話に関する補遺: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog

ここで書かれていることの問題が、いちいち全部がスポーツ界や演芸・演劇界とも抱えている同じすぎる。この話に対して、理解してクレーム付けてくる人がいるというのまで、スポーツ界や演芸界と同じすぎて泣けてくる。

いやほんと、コンテンツ業界はいったいどうするんだろうね(雑感): 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog

別に国や政府に頼りましょう。お金出して貰いましょうというだけの話ではなくて、日本の枠組みの不確かさというのが、資金調達やら人材育成やら、インフラ整備などが遅れる要因になっている。そもそも人や金を投資する時の目的が定かでは無いことが、船頭が多い上に、兵站も定かではない状況で、沢山いる船頭の考えている目的地すらあやふやだったり、そんな目的地は存在しなかったりしている。
スポーツ庁とか知的財産戦略推進局とかじゃなく、総合的なエンタメ産業の枠組みが必要なのは、一番の理由は目的地をはっきりさせることです。どうしてスポーツに力を入れるのか、コンテンツ産業を国が音頭取ってやる目的は、国民に遊興を提供する産業を振興する。つまり遊びを国民に提供する、それによって儲けるということを、最優先の目的にするべきでしょう。教育とか文化保護とか、そういう本来付属的なことを前面に出すべきじゃない。
身も蓋もないことを、いかなり最初に書きますが、結局今の日本でこういう話をする時に、一番問題なのは「金がない」という一点に尽きるんです。「古臭い体制が残っている」とか「頭の固い、現場を知らない、老人がのさばっている」といった問題は、昔からあったことだけども、最近になって問題が大きくなってきたのは、それまでこの問題を見逃しても回っていた金が無くなったからです。
村主ほどのスケート選手が、年間2000万ぽっちの活動資金すら集められない。という話もあるように、とにかくスポーツ界は現在、現場に金がないというのが大問題なのに、現場が金を稼ぐシステムに、日本のスポーツ界はなっていないわけです。スポーツ選手やコーチをアマチュアにしていた方が、得をする連中がいっぱいいる。そしてそれと似たようなことは、いま日本の全ての業界にはびこっているけど、分かりやすい状態でいるのが、スポーツや芸能、コンテンツ産業といった分野です。
これらを全部、金儲けの娯楽産業として振興する。そのために必要な規制は全て取っ払う。今までの教育文化行政とかの、縦割りや老人の椅子も排除して、スポーツやら、演芸やら、エンタメをやる理由を整理しましょう。いまのエンタメ産業はどこも、一番の目的が、メダルを取ることなのか、文化を育成することなのか、教育や体育といったことなのか、そんなのが色々とややこしい横やりを入れられることになってしまう。村主に年間2000万円の価値がないと判断されるぐらい。スポーツは金にならないという状況から、まず変えていかないといけない。

ビートたけしも困惑!"流し目王子"早乙女太一をめぐる浅草演芸界の魑魅魍魎 - 日刊サイゾー

これはたまたま同じ日に見た話題だから、並べて紹介しますが、こういう古い体質というのが、エンタメ業界は全般的に産業としての発展を阻害していたり、健全な金儲けというのが成立しない状態になっている。
この隊長のエントリーをきっかけに、「国の金が欲しい利権系」とか、「ムダやムラがあったからマネタイズできてた産業」といったワードが出てきています。
現場に金を回さないことで、私腹を肥やしたい連中という分かりやすい相手だけが、利権にしがみついている老人ではない。国や企業からの金が欲しい連中だけじゃなくて、金を出すことでいい顔をしたい、偉そうに業界で大きな顔をしたい。という連中も実は古い体制を維持したい、現場にストレートに金を回したくないという意味で、既得権を守りたい連中なのです。
日本のエンタメは、スポーツにしても伝統芸能にしても、西武の堤さんみたいな人がいて、金も出すけど口も出すという人がいて、その業界は成立していた。そしてそれはいつしかシステムになっていって、お金を払う側じゃなく、お金が欲しい人や、対してお金出せないにも関わらず、大きな顔して口出しはしたい人が、トップに立って物言えるシステムができあがっている。いまの業界はどこも、金を出さない堤さんみたいな人が、のさばるというのがシステム化している。
古典芸能は、特に魑魅魍魎というか、無能な働き者がお金も権力も持ってたりするし、そういう人に尻尾を振って、小銭や飯や酒をたかっている人間が多いから、さらに性質が悪いけども、他のエンタメ業界だって似たようなものです。まだゲームやネットのほうが、金の周りが悪い分だけ、その辺は健全かも知れませんが。
そういうことは以前にも、次のエントリーで書いたことです。

そして上方芸能ならそのタニマチ的な支援者というのは、呉服屋、海苔屋、和菓子屋のような、代々の昔からの金持ちみたいな人たちが幅を効かせていて、売れるというのは、その連中に気にいられることで、そちらの方が大切になっている。

しかし昔からこういうシステムだったとか、こういうシステムで良い時代もあったということだけで、そのシステムを続けたがっている人が、既得権を持っていない人間にもいたりすることが、また性質の悪さでもあるのですが、旦那やタニマチに頼らないでも、スポーツや芸能が成り立つ仕組みにしないといけない。
そのためにまずスポーツや芸能を、教育行政から切り離す、そして、総合的なエンタメ産業の枠組みで、お金儲けしていくことを考えていかなくてはいけない。

古田敦也氏らスポーツ庁の設置を要望 - スポーツニュース : nikkansports.com

古田さんはこのヒアリングで、「スポーツの文科省の下から切り離す」ということを、明確に発言していたようですが、いま古くからの人たち、例えば元メダリストや元協会会長などは、教育行政に利権を持っていて、それらの肩書きを持っていきているけども、そこから離れて自活しないといけないし、その為に自活できるシステムを整えないといけない。
いまの枠組みの中で、国にお金出して貰っても、スポーツも、芸能も、コンテンツ産業も、現場までお金降りてくる額はどうせ一緒なんだから、新しい枠組みで勝負したい人たちの枠組みを作っていかないといけない。
外国のスポーツ担当大臣とかの肩書きを見ていると、「スポーツ余暇」とか「スポーツ文化」といったものがセットになっているのが多い、観光とセットになっているところもあった。なんでも海外と同じにしろとか、海外の方が優れているとは言わないけれど、これだけ現状の問題点が似通っていて、娯楽の提供で金儲けという共通点があるのなら、やっぱり一緒にしてしまうべきでしょう。

【五輪】JOCが「囲碁」、「クリケット」、「ローラースケート」を承認団体に・・・アジア大会でも新種目に採用:芸スポまとめblog

つーか、もう囲碁がスポーツかどうか? なんていうくだらないことで、話が停滞したくない。という気持ちも無いわけではないです。
最後に関係あるようでないような話だけど、なんで旦那がマズイかという話をしていくと、篤志という気持ちでお金を出している人に対して、その人のお金の使い道とか、実際にやろうとしていることが、どんなに効果が無かろうが、むしろマイナスになっていたとしても、往々にして反対意見は出ないわけですよ。むしろそういう人ほど、周りはイエスマンで固められているものです。
そして先ほども書きましたが、昔からの金持ちだったり、他の商売で成功した人であっても、エンタメは素人だったりするから、無能な働き者のアイディアだったりして、ロクなことにならないわけですよ。もしくは最初は景気の良いことを立ち上げても、しばらくしたら興味か、金か、周囲の理解のどれかがなくなって、グダグダになるのが、もうここ数年だけでも、どれだけ芸能やスポーツの分野であったか、ということを考えてみてください。
またそういう人が最初に目立ったことをやるから、何か凄い良い方向に転がりそうな気はしちゃうから、それ以上のことがされないままに、本当の問題点が全て目を瞑ることになってしまう。
例えば、というか実名出すけど、近藤利一とか関口房朗みたいな人に、デカイ顔されたり、三木谷みたいな人にいじられるのは、嫌とかいう話だけじゃなくて、継続性のない、上品でもない、結果が出ないことで見出されるのは、一瞬は良いような気がするだけでしょう。こういう連中に頼るのが是というのを、サッカーや野球、お笑いやゲームの世界までは、勘弁したいというお話でした。旦那に金出して貰ったり、利権と引き替えに国や企業から金を引っ張ってもらうのでもない、エンタメ産業の構造を変えないといけない。森喜朗堤義明に頼ったり、近藤利一関口房朗のような人に、好き勝手してもらわないと、お金が回らないようではいけない。

スポーツ・マネジメント―理論と実務スポーツ・マネジメント―理論と実務

実践スポーツビジネスマネジメント―劇的に収益力を高めるターンアラウンドモデル 一橋ビジネスレビュー 56巻4号(2009年SPR.) Sport Management Review VOL.12 Sport Management Review 2008 VOL.11 スポーツファイナンス (スポーツビジネス叢書)

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