韓国のスポーツ施策が正しくなくても、日本も正しくないことに変わりはない

この二つの記事を書いてから、ネットを見ると清水宏保朝日新聞への寄稿が話題になっていた。

【五輪】清水宏保「日本はまだまだスポーツ後進国。五輪の時だけ盛り上がって、終わったら全く関心がないのはあまりに悲しい」:芸スポまとめblog

これ読んでから書けば良かったなあ、という風にも思ってしまいましたが、僕が前回に書いた時にあえて書かなかったこと、上辺だけで済ませたことが、「日本の体育教育とそれに伴う行政の取り組み」、そして「メディアの儲けどころ」ということについてでした。ここまで話を広げると、ただでさえ長かった記事がさらに長くなるのと、巧者はもっと巧い事を言う人が、小田嶋さん中心に今後も沢山出てきそうに思いましたが、前者については自分の中でゲップのする話題だったこともあり、役員批判や武士道批判と被る話になったので、前回は削ったテーマでした。
僕はもうこのブログ読んできてくれた人は、大体分かると思いますが、日本の体育教育は百害あって一利無しぐらいの全ダメ論者ですから、この話題については、広げるまでもない的な態度になってしまうのも、話を安くすると思いました。
いま日本のスポーツは文部科学省の管轄ですが、スポーツ担当省というのを作れないのなら、経産省に管轄を移して、スポーツというのはビジネスと福祉の二本立ての業界として、成長産業と福祉事業という形で予算を付けていくのが、一番ベターだと思うのです。まずスポーツ界がスポーツをすることで、金儲けが出来るようになる。その上でそれでは手が届かないところを、福祉事業として予算を付けていけば良いと思うのです。それは「町内会のゲートボール場を芝生にする」ということから始めても良い。本当はスポーツ文化余暇担当省とかにするのが一番なんだろうけど、それよりは一度しっかりと教育視点から切り離すことが大切だから、やはり一度は経産省の管轄に移したい。
あと韓国のようにエリート選抜でトップだけを強化して、メダルやワールドカップ国威発揚にしているのは、正しいスポーツの強化の仕方ではないから、日本はドイツのように、正しいスポーツ環境を目指してというのは正しい。でも現状の比較としては、韓国と比べて日本は後進国という方が、どう考えても正しいでしょう。日本が遅れていても、正しい歩みをしていたら、それは理屈として通るでしょうが、亀の歩みで一歩進んで二歩下がっている状況では、成果と数字だけを見て、日本は韓国より後進国と表現するのは正しい。それは日本がドイツのようなスポーツ環境の、1/10でも再現できてから言うべきです。そのときは日本のメダルの数や国の予算が、いまよりも韓国と引き離されても、胸を張って日本は正しい道を歩んでいる。日本の方が先進国だといって良いけど、今の状況では韓国のスポーツ的に強化が正しくなかったとしても、日本はそれを嗤うことが出来ないほど寒い状況では、何も言うことはできないでしょう。どっちも正しくないんだから、数字や結果だけが全ての判断材料だ。
しかし元財界人の評論家が「選手が必死じゃない」とか、某都知事が「国家を背負ってないからこの結果」とかかいう言葉は、メディアから駆逐するにはどうしたら良いだろうね、精神主義的な教育を何とかしないと。根性や精神論はトッププレイヤーの最後の勝負に重要だけど、それだけになっている状況はどうにかしたい。大体、財界とか政治家の人間が、しっかりと前線で戦っている兵士に、物資を送っていないことが一番の問題だろう、兵站の不備を隠すために、精神主義を前面に出すなんて、いつか日本の来た道以外のなにものでもない。

いいじゃん、スポーツ後進国で: 切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog

まず脊髄的に思ったのは、スポーツ後身国というよりは、後身国なのがスポーツに現れている。というような気がするんですけどねえ。
その上でじっくりと読んで思ったのは、隊長は意図的にやってるんだろうけど、最後の一段を読むと、問題の前後関係を入れ替えているのが分かる。落胆しないように、スポーツ後進国に引きこもりましょう。というのは解決になってるように感じるのは、あまりにも言葉遊びが過ぎて、事の本質を隠してしまっていると思う。

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