秋春制・議論自体はされないよりされた方が良い?

春夏制について【山内雄司】│スポニチワールドサッカープラス

議論自体は確かにおおいにされるべきだとは思う、でも自ら足を運ばずに、協会の金を使って自分の旗色の良い流れを作ろうとしている、犬飼さんがやろうとしていることは、僕はあれも「議論」とは呼ばないように思うのです。
そして移行は反対とかではなく「不可能」という声は、寒冷地のサポーターはもちろん、夏も冬も現場に沢山足を運ぶ事で知られている、後藤健生さんも「秋春制がいいか、悪いか」ではない。秋春制は、日本では不可能だと、僕は思う。と語っているが、多くの現場関係者が「反対じゃなくて不可能」とまで論じている事について、「議論だけは止めてはいけない?」というのは少し議論というものに対して偽善的な態度のようにも思うし、「議論のための議論」という別の意味で袋小路に陥るような気がする。考えない事も思考停止なら、考えすぎる事もまた思考停止にはならないだろうか?