国際交流の本来の形とは?

いつも興味深く、面白く、為になることが多い、田口壮さんのウェブ日記ですが、今回も唸らされてしまいました。過去ログがないので、リンクは魚拓、引用は長めで失礼します。

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日本文化がより国際的になればなるほど、「本来のままで」「伝統を崩さず」と守りの体制になっていくのは当然のこと。しかし、その流れと同時に、「多くの人に、楽しく受け入れてもらう」ということを目的に、着装関係者はさまざまな工夫をしているといいます。例えば、「日本の草履をもっと履きやすく」と、とある靴メーカーと組んで、草履のかかとにエアクッションを入れたのは、僕の友人のジェーン(山野愛子ジェーン・
山野美容専門学校校長)。アメリカ生まれでアメリカ育ちの彼女が、故あって美容、着装の道に進んだときに、アメリカ人の目線で日本文化の
いい部分を広めるために、という気持ちからの工夫でした。
アメリカ人は着物を壁に飾ったり、テーブルクロスにしたり、Gパンの上からコート代わりに羽織ったり、と、「本来の姿ではない」使い方をして、僕らを驚かせます。しかし、どんな形でもまずは興味を持ってもらうこと。そして、「もっと知りたい」と思ってもらったときに、学ぼうという気持ちも生まれてくるはずです。
外国人と接するとき、僕らは突如「日本代表」となって、「正しい日本を伝える責任」を負わされます。しかし肩の力を抜いて、「うれしい顔を見ることから始めましょう」と言う義母に、国際交流の本来の姿を見たような気がしてなりませんでした。

日本人だってベースボールを、本来のベースボールとは違う、野球という形にして日本文化として吸収していったように、欧州の人たちが柔道をJUDOとして吸収して、自分たちの文化にしていったことは、当たり前のことでそれをどうして批判出来るのでしょうか、日本にも野球はもちろん、洋食や洋間など、本来の文化とは違う形で、欧米文化を吸収して、いまの日本社会があるわけですから、欧米の人たちが、本来とは違う形で、日本文化を吸収して、それを楽しんでいることに対して、批判したり憤ったりすることは、決してないんだという事を改めて思い知らされました。
日本人だって、欧米の文化を自分たちの都合の良いように受け入れてきたんだから、彼らが日本文化を自分たちの都合の良いように受け入れても、何も文句を言う筋合いではないわけです。
しかしこういう記述を、いま「柔道か? JUDOか?」みたいなことが、日本で言われていることを敏感に察知して、こういうネタをネット上で投下出来る、田口さんが改めて凄いと思いました。

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田口壮

自己再生―36歳オールドルーキー、ゼロからの挑戦 季刊〈道〉 (No.152(2007春号)) 約束のマウンド 長谷川滋利のメシ゛ャーリーグがますます楽しくなる観戦術 屈辱と歓喜と真実と―“報道されなかった”王ジャパン121日間の舞台裏

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