「第6回MBS新世代漫才アワード 2次予選完全版」

この番組を見る前に、友近柳原可奈子の比較で、「柳原可奈子の方が凄い」という話をまた友人としていたんですが、その際に思い出したのが、漫画家のひさうちみちおが、「現実を取材しないで描くと理屈っぽくなる」みたいな話をしていたのを思い出したんですよね、それって今の友近だよなあって、友近中森明菜とかフォーク歌手のコンサートとかのネタやっていた頃は、結構好きだったんですよね、でも最近の西尾一男とか、ソーセージとかの、いかにも頭の中だけで作った、リアリティのないキャラクターのコントは好きじゃない。
友近ぐらいの実力・才能があると、現実を取材しないで、才能と経験だけで頭で作ったキャラやネタで、そこそこ面白いもの作れてしまうんだけど、それってやっぱり理屈っぽくなるし、自分よがりなものになってしまうんだろうなあと考える次第です。さんまさんや紳助さん、あととんねるずのやっていたキャラクターコントって、全部元ネタになる人がいて、そこから半歩ずらすということをやっていた、一歩ではなく半歩ずらすというのが芸人の業だった。
ということを枕に、この番組の話をするのは理由があります(笑)。

第6回MBS漫才アワード 2次予選完全版 | MBS

いや二回戦で13位以下になった芸人さんのネタを一挙放送しましたが、12位のギャロップは「父さんの子じゃないんだ」をやったらしいですが、もちろんこの舞台での演技というのは、また違いますから一概には言えませんが、僕は13位から39位までの26組には大きな差は感じなくて(40位のふうらいぼう。は悪かったとか力がなかったというより、迷走してしまった所で、ここに出てきた感じでしたが)、この13位から39位の順位というのは、出番順の違いやお客さんの何割かが入れ替わったり、演技プランを少し変えただけで、大きく入れ替わる可能性があるものでした。しかし12位のギャロップと13位以下の人たちの間には、凄く決定的な差を感じてしまいました。少なくとも13位以下だった人たちのネタには、12位のギャロップを上回るものは、感じることが出来なかった。
13位から15位の三組が特に分かりやすかったんですが、この実力派として誰もが認める力がありながら、絶賛迷走中の三組が見事に、枕に出してきた話題を体現しているんですよね、巧いんだけど、教科書通りの理屈臭い漫才な上に、漫才するときのキャラクターが、四組とも定まり切れていない、天津やりあるキッズはもちろん、ハリガネロックユウキロックがお得意のキャラの迷いが出て、ネタの終わりとネタ終わりの「thank you」の締めがあっていない。
そしてこの後も、カナリアオジンオズボーン、あと少し後のソラシドと、頭の中で作った理屈っぽいネタが続くんですよね、伸び悩んでいる実力派の限界なんでしょうが、おそらく台本だけを見比べたら、物凄いこちらの方が面白いんだろうけども、そういうことを特に天津、カナリアオジオズの出番順が続いたことには感じてしまいました。
またこの後に出てきた、上々軍団がそんなに内容のないレベルの低いネタで、しかも「この人達は漫才アワード、毎年同じネタじゃない?」と、思わせるような、いつも通りのことをやっているんですが、それでも見てたら笑ってしまう人たちが出てくる、この放送順の絶妙さですよ、ポテンシヤル的には30点とか50点ぐらいしかないのに、イザ本番になると70点ぐらいを確実に出してくる芸人と、90点以上のポテンシャルがありながら、75点ぐらいしか出せない芸人というのは、70点と75点という点差があっても、実力以上の70点を出してきた方が評価もされるし、実際売れるんですよね。
この後で千鳥という、凄い才能のある芸人が、凄い考えに考え尽くしたレベルの高いネタをするけども、上々軍団というそんなに才能があるとも思えない、レベルの低いネタの方が、面白くてオーディエンスの出す点数も高いというのは、凄いお笑いとか、漫才の本質を残酷なまでにえぐり出していると感じてしまいました。だって僕みたいにスレたオッサンのお笑いファンが見ても、単純に笑えるという意味では、13位以下の中で見たら、上々軍団のレベルの低いネタの方が、笑えるというのは、どうしようもない大きな事だと思いました。
それが結局、僕やにづかさんが語っている「ネタだけで評価するな」の正体なんですよね、僕たちが言っているネタだけというのは、少し舌っ足らずでしたが、要は台本の善し悪しだけで、芸人さんの舞台を評価しすぎではないか? ということで、台本(ネタ)とキャラと演技、そして場の空気を支配出来るかといったことまて、全部ひっくるめたことが、本来のネタというものであるのに、あまりにもいまのネタの評価というのが、台本に寄りかかりすぎているというのが、僕やにづかさんが本質的に言いたいことの正体というのが、この漫才アワードの二次予選で凄い良く分かりました。それはこの後のオーケイ、ビタミンS、女と男、ダブルダッチ、王(キング)といった、ネタはイマイチだったけれど、キャラや演技は良いという人たちも、含めてになるんですが、結局この辺の総合評価というのが、ネタとしての評価になるべきで、どれか一つだけが秀でているからというひとは、決して芸人の評価の絶対軸にしてはいけないと考えたし、いまのお笑いファン、マニアというのは、その中で台本(ネタ)というのを重視しすぎていないか? ということが、僕やにづかさんが主張していることだということは、理解して貰えたら有り難い所なんですが。
実際に僕自身もbaseに通っていた頃は、芸人を評価する時に、ネタとキャラと演技力というのは分けるべきではない、ということなんて考えにも至らなかったし、ポテンシャルを見出してやろう、伸び白や素質を評価してやろうなんて考えていたかもしれないけれど、ただ実際にお笑いというのは、テレビの前で片肘突いて、ビール飲みながら見ているような人が、テレビや大きな劇場ではメインのお客さんなんですよね、実際に新宿や浅草の寄席は、途中入退場が自由というのが、ルールらしいのですが、そういう所で揉まれた方が、ビール飲みながら新聞読んでるお父さん、洗濯物や炊事場の方を向いてるお母さん、手元に携帯ゲーム機やマンガを横にしているお子さんを、どうやってこっちの方に顔を向けるかという、テレビのバラエティやネタ番組に向いているというのは、最近になって痛切に感じている今日この頃です。
あとはなすなかにしが、ボケとツッコミが入れ替わらないだけで、まんま笑い飯になってしまっていたのにビックリしたのと、ナイツの評価は去年のサンドウィッチマンと同様で、年齢層の問題で東京・大阪の問題ではなかった様に思いました。まあでもサンドウィッチマンは、去年は微妙なネタをもってきてたと思うけどね(笑)。ナイツは光GENJIの下りは取っ払った方が、客の世代的に良かったと思います。
まあしかし、このドキュメント+13位以下の人たちのネタを見て思ったのは、レポーターの矢野勝也はすげえということでした(笑)。いやこの人は凄いです。この人が画面に出てきたら、一瞬で空気が矢野さんに支配されている、凄すぎます。細かい所を凄く把握していて、さすがでした。
とりあえず決勝が愉しみ、トータルテンボスアメリカザリガニの一騎打ちに思いを馳せたい、二次予選の結果となりました。
あー最後にチャラなちゅパラダイスは、点数以上に会場も、楽屋も、テレビの前も沸かせていたということだけは、はっきり言っておきたいです(笑)。いやーやっぱり慶は、いま勢いあって面白いわ(笑)。

漫才アワード2008 2次予選レビュー - 一汁一菜絵日記帳

台本とキャラと演技が全部ひっくるめて、トータルしたものが漫才であるということが、更に深く考察されています。