まず見て貰わなくては意味がない

「まず目に付かなくてはいけない、手にとって貰わなくては意味がない」というのは、劇画村塾の教えだったと思うのですが、どんなに良いものを作っても、人の目に触れなくては、手に知って貰うきっかけがなかったら、見て貰えないんだから、それでは意味がない。

誰かは見てくれる」なんて信じない:タケルンバ卿 - 一汁一菜絵日記帳

なんか芸人というものは、その個人が持つプリミティヴな部分で勝負するべきだ、といった幻想が(特に関西の)芸人やお笑いファンには、強いのかなという印象も、最近は持っているんですよね、だからアピールしたり、あざといと言えばそうかも知れないような計算を働かせたり、普段とは違うキャラを作ったりすることに対して、あまり芸人もファンもいい顔をしない所がある。
だからお笑いライブとかでも、ゲームコーナーみたいなのが喜ばれるし、ネタにしろキャラにしろ、芸人の素の部分というのを残したようなものが、ファンにも喜ばれる傾向があるし、芸人達もやりたがるというのは、純粋なんだろうと思うけれど、それだとがっちりとあざとくアピールするために作り込んでくる、海千山千の連中に勝てるのかという問題が出てくる。現実に東京と大阪の芸人が集まってみたいな番組になったら、どうしても大阪の芸人のアピールベタが目立っているし、それを「本物の芸の部分の勝負じゃないから」と、許してしまう所は、やっぱりイカンよなあと思うようになってきています。
本当に一部の人たちだけかも知れないけれど、「人としてのプリミティヴな部分が出ている」ということを、「素晴らしい芸」と錯覚しているということは、僕はあるように最近感じてきているし、だからこそアピールをする行為というのが、許されないことになっている理由の一つかなと思った次第です。

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小池 一夫

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