お笑いにレッスンプロとキャディを導入したい - タケルンバ卿日記

一昔前なら、師匠という存在がいたんですよねえ、師匠とか兄弟子という立場の人が、ある程度ここで言うレッスンプロ的な役割を果たしていた。しかしお笑い界は伝統芸能系以外では、そういう徒弟制度が崩れてしまったし、いまでも弟子を取っている師匠も、そういう事が出来ていない人が多い(だから各事務所が養成所を作り出したという側面はあると思う)、そしてここで言われているキャディ的な役割というのは、昔はテレビ局のディレクターやプロデューサーが務めていたというのは、さんまさんや紳助さん、ラサールさんといった人たちの昔話を聞いていると分かる。それこそヤンタン時代のさんまさんは、ラジオのディレクターに「こういう映画は見ておけ」「このレコードを聴きなさい」という所までレクチャーを受けている。そういう指導で明石家さんまトークも交遊の幅も広がっていった。

4048943405ヤンタンの時代。
渡辺一雄
角川書店 2005-07

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しかし現代はテレビのパイは昔のままなのに、芸人の数が極端に増えてしまったために、テレビ局のスタッフが若い才能を囲い込んでおく必要が無くなったし、売れていない若手芸人にとって、テレビの現場が遠い存在になってしまったから、テレビ局のディレクターやプロデューサーが遠い存在になってしまったから、そういった話も受けられなくなったし、またそういう風に育てようという意図を持った人も、今は少なくなったのかもしれない。
あといまは「他人の意見に左右されないのがエライ」という変な風潮が、芸人にもお笑いファンにもあるから難しそう、というか「人の意見に左右されない」とか「(アーティスティックな才能というのは)人に教わるものではない」という変な風潮が、お笑い界に限らず日本にはありますよね、自分の才能を信じて進む事がエライみたいな風潮はあるし、中小の事務所の方が「他人の意見を聞きたくないから、大きな事務所だと色々言われるから」という理由で、中小の事務所に流れ着いている人が多いのも事実だと思います。
アメリカの映画学校とかには、オスカー取った事のある監督とかが入り直すみたいな事もあるらしいけど、日本ではあらゆる芸術・文化的な部分で考えられないところがあるけど、そういうのはやった方が良いとは僕も考えてはいるけど、なかなか難しいだろうなと思います。
少し前までなら、例えば吉本とかでも千原ジュニアさんの喋っている内容が、松本人志に似すぎているといって、松っちゃんの本をジュニアに渡して、「これ読んで似たような事言わないようにしろ」と言ってくれる人がいたらしいけど、最近は似たような世代で似たような感性の人たちばかりでチームを作ってやる方向に、どんどん走っているから、こういう上から大人の目線でアドバイスしてくれている人というのは、逆に減っていっているようにも感じます。芸人とか作家には絶対に出来ないアドバイスというのはあるし、そういうのを聞いたり聞かなかったり、影響を受けたり反発したりしながら、明石家さんまダウンタウンも大きくなっていったんだけど、いまはそういう声が芸人に根本的に届かなくなっている気がします。
追記)この話題はにづかさんラリーさんも参加希望です(笑)。

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ラサール石井

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