岡田斗司夫はなぜ捨てられたのか─岡田・イズ・デッド─ : 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow -

これを書いた人のブクマコメントも合わせて読んでの感想なんですが、僕はオタクの個人論より、メディア論の方が好きで面白くて入って、オタクの人生観みたいなのは後から好きになった方なので、中心にメディア論を読んでいる岡田読者にとつては、いまの岡田さんってそんなに変節したとか、かつてのファンや読者を捨ててメジャーでも稼ごうとしているという風には思えないでいます。いまやっているトークイベント「遺書」でも、作品の制作秘話や裏話よりも、経営の裏話の方が多いことに対して、不満とまではいかないけど、物足りなさを感じている人もいるようですが、でも僕は岡田さんだったら、そうなるよなあと思って感想読んでいました。
ということで僕はオタクの人生論よりメディア論の方が好きだし、オタクの人生論というのもメディア論のインターフェースだという風に僕は読んでいたので、メディア論を語るにあたって「オタク論」より「見た目優先主義」の方が、インターフェースとして僕は岡田さんのメディア論は分かりやすくなったと思っています。

オカダ・イズ・ファット : 萌え理論blog

まあでも岡田さんは、「萌えとか言ってる奴は仲間じゃない」ってかなり早い段階で言ってたし、そもそも最初からいまアンチ岡田になっているオタクの人と、オタキングって最初から目的地の違う船に乗っていたように、僕には思えます。
あとやっぱりいまメディアに出ている岡田さんに関しては、「オタク芸人」としてのポジションで見た方が良いと思う、よゐことか、まあこの場合は入れておこう土田さんとか品川さんとかが、芸人の側からオタクの方に向かっていて、岡田さんとかはオタクの側から芸人の方に向かった結果、いまというのはオタクの個人論、人生論、社会論としてみる人もいるけど、やっぱりこれってメディア論の方で語られる事じゃないか? という風に思ったりするわけです。
でも基本的にあんなに飽きっぽい人に、オタクの人生論についての責任を取らせることが間違っている気もするけど、「恋愛論」だって本人の中では終わっているだろうけど、世間的には中途半端に終わった感じだし、「落語2.0」はどうなったの? とか個人的に思うし、というか僕はこっちがいま宙ぶらりんに見える状況の方が、けしからんという思いですよ(笑)。
だから僕は「捨てた」と思っている人は、最初から同じ船には乗ってなかったんじゃないか? と思うということで以上です。

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岡田 斗司夫

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