大阪が元気だった時代

ナイナイに学ぶ継続力 : 80年代後半〜90年代前半を回顧するブログ:昨日の風はどんなのだっけ? : 一汁一菜絵日記帳

僕が振った話題に対して、コミケ締め切りに忙しいこの時期に、わざわざ返答ありがとうございます。僕もWACHACHAブームの頃は関西の吉本芸人の動向に関しては、部分部分でエアポケットになっているので、お互いに補完出来ないかなあなんて思った次第でした(笑)。
大阪の90年代前半迄のテレビ界やお笑い界の盛り上がりというのは、もう今となっては伝説というか、振り返って今と比べると、いかに今現在の大阪の土壌が貧相になっているかということを思い知らされるんですが、丁度先週にライブの合間にお話ししていた作家さんとの会話で、「『アメトーーク』のジョジョ芸人の回が関西でだけ放送されなくて残念」という話題になったんですが、その時に昔も東京発の深夜番組や昼の番組は「オールナイトフジ」「イカすバンド天国」「トゥナイト2」「王様のブランチ」「カノッサの屈辱」「北野ファンクラブ」「上岡龍太郎にはだまされないぞ」の放送が無く(一部の番組は独立U局で遅れて深夜に放送あり)、「あっぱれさんま大先生」と「夕焼けニャンニャン」も最初の一年は関西で放送がなかった。
それでもあの頃の関西の子は平気だった、「探偵ナイトスクープ」「パペポTV」「4時ですよーだ」「ざまぁKAN」「八方の楽屋ニュース」「テレビのツボ」「どんぶり5656」「新・たかじんが来るぞ」「怒涛のクルクルシアター」といった、このあたりの番組が沢山あって、東京発の番組が見られなくても、僕たちは全然平気だった。むしろ東京ではこれらの多くが見られないということが、関西のお笑いファン、テレビウォッチャーにとっては優越感すらかき立てていたものでした。
でも今ははっきりいって、あの頃の番組の縮小再生産、廉価量産版と言い切って良いような、安上がりで安易な企画が散乱していてという風に感じてしましたが、やっぱり90年代の前半位までとは志の違いが、関西のそういう世界全体にあるのは、にづかさんも言うように間違いないでしょう。
それがどういう違いなのかというのは、にづかさんはバブルという可能性を提示して、時期がずれていると引っ込めていますが、僕は一つの理由としてあるとは思います。あの業界はバブルの影響が何年か経ってから出たと思いますし、そう考えると時期的にはピッタリなんですよね。
あとなんか大阪で「この人なら東京で成功出来る」とか「テレビ界で天下を取れる」みたいに思われていた人が、吉本芸人に限らず、小劇団の人かとかも含めて、ほぼナインディナインを最後ぐらいにしていなくなったということが、意気消沈の大きな理由ではないかなという気がします。
90年代真ん中ぐらいまでは、関西にあった「大阪発で何かを作りだそう」という思いというのは、志という他に、余裕みたいなものもあった気がして、にづかさんは最近続けて中山功太の話題をしていますが、昔の「未確認飛行ぶっとい」や「ムイミダス」をやっていた頃の大阪なら、キッチュ越前屋俵太、関西の小劇団の劇団員を多数積極的に起用していた頃の大阪のテレビ局なら、中山功太が本来の味をテレビで出して、有効に活用出来ていたのではないかという思いは強く持ってしまいます。
でもなんか90年代半ばぐらいに、たかじんとかトミーズ雅とか、天素の東京進出の頃に大阪に居残された連中が、しきりに「大阪が一番、東京や全国で売れるなんてたいしたことない」ということを声高に言いすぎて、それに影響された人たちというのと、またその時期に大阪の番組とか色んなものから予算が無くなっていき、才能の流出はその前にあってという、色々なことがいっぱいあの時期に複合的にあったんだなということに思いを馳せてしまいました。