昨日のサウジ戦を振り返っている

一日経っても、いや経ったからこそ更に面白い論客達の、良い振り返りが多く出ているので少し紹介します。否定的とまではいかないけど、という人たちのから紹介します。

日本2-3サウジアラビア : 僕とビールとサッカーと

ムズ〜リさんだけがこういう意見なわけではないので、代表的なものとして紹介するのは申し訳ないんですが、他のは紹介するに絶えられないものなのですが、トルシエの時もそうだったし、欧州の組織サッカーやる監督がJとかに来ると、必ず一部の人達が「監督の呪縛から選手が解き放されて欲しい」的なこと言い出す人が、一定数必ず現れるのは、いい加減あんぐりなんですよね、僕はサッカーというのは監督の戦術・戦略を、選手が手足となって実行するものだというものだと思っているから、これは多分、僕のサッカーの入口に明石家さんまのラジオのサッカー語りというのがあって、さんまさんが一番熱心にサッカー語っていた頃というのは、「キャプテン翼」の影響と、あと日系ブラジル人のサッカー選手や指導者の影響で、「サッカー=ブラジル」という図式が主流だった頃に、「ヨーロッパの組織サッカーこそサッカーだ」という語りを凄くしていたので、その影響はあるのかも知れない。

もっと「怖さ」を持った組織になれ : ワールドサッカープラス

いまの日本代表に必要なのは、「監督の提示する組織に囚われないこと」ではなく、「監督の要求する組織を更に高めること」だと僕は思います。2002年のワールドカップも2007年のアジアカップも、組織に拘りすぎたから負けたのではなく、組織がまだまだ足りなかったから負けた。
しかし「キャプテン翼」の弊害の一番手に、「日本の才能が中盤に集中した」というのがあるとはよく言われるけど、僕は「サッカーは自由だ」とかいう思想を蔓延させた方も、結構重たい弊害になってきている気がします。サッカーとは戦術というタスクを実行していくモノという考えはもっと浸透しても良いと思うし、日本はまだまだ「組織」と「戦術実行力」というのが足りないと思います。
あとこれは違う話ですが(そーでもないか?)、また「『個』か『戦術』か?」といった話が蒸し返されつつ、このサウジ戦であること、全ての要因をFWの決定力やシュートの積極性に持って行く流れが、サッカーメディアやファンの間にあるのは、いい加減勘弁して貰いたいものがあります。結局そこから動けないのなら、進歩していないのは代表のサッカーではなく、見る方や語る方はもっと進歩出来ていないじゃないですか。

日本対Saudi Arabia : texte

阿部はかなり戦犯の一人として槍玉になっているというか、本職のCBではない阿部を起用したオシム監督が批判の対象になっているけど、でも阿部はCBがメインじゃないかも知れないけど、本職ではないとは言えないぐらい、世代別代表やジェフではCBやってるでしょう。阿部以上に一対一が強くて、戦術理解力があって、スピードに優れた選手となると、具体的に誰が良いかということですよね、将来的には福元あたりが上がってくるかも知れないけど、現状で中澤と阿部以上となると、かなり難しいところがあると思います。前監督時代に岩政とか三木とかに代表経験がもっと積まれる機会があったら、また違ったのかも知れないですが。
あと探せなかったけど、阿部より中澤の対応を問題にしていた、J-KETでのミケロットさんの意見は結構納得した。

[風間八宏] サイド守備に点検必要 : ワールドサッカープラス

風間さんもサイドの守備面に触れていますが、世界的にサイドバックは人材難だけど、日本代表で4バックをやる難しさというのを、改めて思い知らされます。どうしても2バックかボランチが下がっての3バックになってしまう。

サウジアラビア戦雑感 : 偉愚庵亭憮録

僕はサウジアラビア戦は、悔しい敗戦だったけど悲観的になる試合ではなかったと思います。そういう意味で一回の敗戦に対して、世間もサッカーファンもヒステリックが過ぎると思うし、「日本はいつからブラジルになったのか?」という、オシムの記者会見の際の口癖の意味が、改めて強く分かりました。まあ単に結果に対して悲観的になりやすいという所もあるのかも知れませんが、僕は日本以外の国で開催されるときのAFC主催試合の特殊性は、もっと考慮するべきだと思うし、アジアカップがそんなに大事な大会ではないと、もうそろそろ言ってしまっても良いような気もします。後藤健生さんじゃないけど、「日本はUEFAに入れないか?」と思うことが、今回のアジアカップでの色々な問題で、改めて思いしらされた。

【後藤健生コラム】vol.55 2バックで戦ったアジアカップ : J SPORTS

その後藤健生さんは、大会を勝ち進むことよりもオシムは、ワールドカップに向けての合宿とすることを選んだという指摘で、これは僕もそうだろうなと思いますし、アジアカップはタイトルに拘らなければならない大会と位置付けている人には申し訳ないけど、僕もそれで良いと思うところがあります。これはもうちょっと後に書こうと思いましたが、アジアカップがワールドカップの次の年の大会になったという時点で、僕はアジアカップはワールドカップ出場国には、位置付けの難しい微妙な大会になったと思っております。そして小田嶋さんが指摘したような問題が、日本以外で行われるAFC主催試合には山積していることは、絶対に深い考慮の材料にするべきだと思います。

オシムにとってのサッカー、自分にとってのオシムのサッカー レビュー ×サウジアラビア戦 : 「やってみるさ」

アジアカップオシムがやったサッカーというのは、あくまでも一年で間に合わせる為のサッカーだったと僕は思います。この大会でやったサッカーというのは、これまでのオシムジャパンの親善試合の中で見せていたサッカーのどれにも似ていない、ということは注目すべき所だと思います。就任一年目、しかも満足な準備期間もないという環境の中で、好意的な言い方をすれば「ジーコの遺産」をとりあえず引きだして使わせて貰った、悪い言い方をすれば、アジアカップという大会を通して「ジーコの負債を全部返済した」というのが、この大会の位置付けとなるのではないでしょうか? 僕には可能性としてジーコジャパンの主軸だった選手は、駒野ともう一人ぐらい以外しか残らないという可能性は現実的にあると思っています。そのもう一人が誰なのか、加地なのか高原なのか中村なのか遠藤なのか、その見極めにこの大会が使われたというのはあると思っています。

悔しいけれど、選手や監督を責める気にはなれない。 : 蹴球森羅万象

小倉さんは色んな事に造詣が深い人という臭いを出しているけど、各分野の専門的な人から見れば、突っ込み所満載のことをいっぱい言ってる人だから、本来的にはほとんど無視するべき相手だと思いますが、どうも「スポーツご意見番」的なポジションを狙っている節があるからなあ、あと松木さんは所変われば言うことがコロコロ変わる人で、おそらく司会者が「オシム続投当然ですよね」というフリをすれば、そういう趣旨のこと喋っているに違いないわけだからねえ……。
まあだからこういう連中に邪魔されてはいけない、惑わされてはいけないという空気を作るというのが、一番大事なことなんだろうと思います。
あとあんまりコメント欄のやり取りとか、BBSとかは、日本代表戦の直後は見ないようにしているんだけど、いまの日本サッカーを語り合うときに「○○厨」みたいなレッテルの張り合いというのは、一番無駄でレベルの低い落とし合いでしかないと思う、はっきりいってそういうこと言ってる人は、「自分は何も考えていません、相手にレッテル貼って満足しているだけです」と宣言しているようなもんだと思います。それならまだ自分の言葉と責任で話している川淵さんやセルジオさんの方がマシですよ。

「建設的」という日本語を知っていますか? : すべてが蒼に染まるまで

『「負け惜しみ」という言葉は、敗戦を喫した人間に対する最大の侮辱である。』
素晴らしい言葉だと思います、自分も今後は気を付けたいです。
しかしオシム監督のやってることや言ってることが、変に思わないというのは、ヨーロッパの監督は概ねこういうもんというのが、共通理解にある人とない人の差は大きいだろうなあという気もしています。モウリーニョとかファーガソンとか、もっと極端なこと言ったりやったりしてますもんねえ。日本では何故か人格者とされているベンゲルだって、「負け惜しみ」という言葉を使ってしまいたくなるようなこと、言いまくっているし。

『サッカー・アジアカップ、オシムジャパンが準決勝で敗退!今後の日本に足りないものはなんだ!?』 : ニュースさかさメガネ

Download
もう一度後藤さん、今度は肉声ですが、やはり後藤さんもワールドカップの翌年になった大会開催時期に言及しています。