めちゃめちゃイケてるっ! : 一汁一菜絵日記帳:昨日の風はどんなのだっけ? : 一汁一菜絵日記帳

トラバ返しに更に返したのでこんなタイトルになりました。
僕が昔のバラエティが、今と違っていたのは、善悪の価値観をきちんと提示していたというのもありますが、立場が上の人が一方的に立場の弱いものをいたぶる的なことは、少なくともテレビバラエティでは、僕らが子供の頃までは、あまりなかったと思います。
僕がこの問題を考えるときに思い返すテレビ番組のシーンが五つあって、一つはフジテレビの「新春かくし芸大会」における「ハナ肇銅像コント」、そしてもう一つは「ドリフ大爆笑」の「風呂屋のコント」、そして「オレたちひょうきん族」の「タケチャンマン」、そして最後は「とんねるずのみなさんのおかげです」から「仮面ノリダー」と「黒ひげ危機一髪ゲーム」で、前の二つに共通していることは、一番酷い目にあっているのは、その場で一番エライ人、特にハナ肇の「銅像コント」に至っては、その番組を制作しているナベプロの一番エライ所属タレントであるハナ肇を、みんなでボコボコにするというものだったし、風呂場で風呂屋のスタッフに酷い目にあうのは、決まってリーダーのいかりや長介でした。
やっぱりこうやって一番エライ人が、一番いつも怒っている人が、偉そうにしている人がやられるカタルシスというのが、僕は一番お笑い的で、これこそがギャグであると思うんですよ、銅像とか風呂屋のコントには、はっきりいって理由がないわけじゃないですか、一人の人がよってたかってヒドイ事されて終わり、善悪の提示なんて何にもない理不尽の極み、でもそれが僕たちに負の感情を与えないで見られたのは、やられている人が一番年長のエライ人だったからなんですよね。
後の「タケチャンマン」と「仮面ノリダー」に関しては、善悪をしっかりしていたというのもあるけど、物語のオチとして勝った負けたを付ける為に、最後どっちかがやられるまでの殴り合い要素の強いゲームシーンになると、対等にお互い殴り合っていて、最終的にはどっちもズブ濡れだったり、粉まみれなんですよね、「黒ひげ危機一髪ゲーム」が僕は印象的だったのは、とんねるずより後輩がとんねるずと対戦で出ていて、パワハラ的な発言をどれだけ石橋さんや木梨さんがしても、ゲームの進行上は全く影響しないし、後輩芸人がゲーム中に相手を邪魔する為に、棒で叩きに行ったりにも遠慮が一切なかったことでした。
(※善悪ということで言えば、フジ721の再放送を見る限り「タケチャンマン」は中盤以降ぐらいから、善悪はかなり無茶苦茶になっている、さんまのキャラが何も悪いことしていないのに、タケチャンマンに正体ばれたというだけで、なし崩し的に対決なんて言う流れの話が多いけど、バトルシーンが公平なのと、さんまさんのキャラが基本的にどんなにやられても負けを認めずに笑って立ち向かうという、キャラ設定がしっかりされているから見ていて痛くない。“陽気なクヨクヨしない、いじめられっ子”という像を、意識してか無意識か分からないけど、きちんと打ち出せていることが、僕は「タケチャンマン」における、明石家さんまの大きな功績だと思っています。)
これっていまもしそういうシーンが再現されたら、「お前俺に勝ったらどうなるか分かってるんだろうな」なんてことを先輩が後輩にゲーム対決で言ったら、本当にそのまま「接待モード」に突入するようなバラエティ、実際にいま結構ありますよ、この辺のリアルな上下関係とかが、バラエティの現場に近年持ち込まれすぎだと思う。
最近のバラエティを見ていて気になるのは、例えば水に落とされるみたいなコーナーで、進行役の芸人がいて、その進行役の芸人より後輩が、どんどん理不尽に水に落とされていくというコーナーがあったら、昔のバラエティだったら、さんまさんやダウンタウンがそのぐらいのポジションの頃だったら、最後はその偉そうに水に落としていた進行役が、これまで水に落とされてきた芸人達に囲まれて、最後に水に落とされてオチですよね、これで全てのカタルシスが無事に消化されて終われる。
でも僕は最近のバラエティで同じようなシチュエーションがあったら、進行役はSっ気丸出しで、ただ後輩にヒドイ事して終わり、パワハラ的なやりとりをするだけで終わっているバラエティが、僕は増えてきていると思う、そういう反撃に遭うのは、最初から進行役するのがキャラに合っていないような人ばかりで、立派な進行役がとか、本来虐める側のキャラのあの人が的なものが無くなってきている。弱いものが、やられていた側が反撃をきちんとして、カタルシスを生むという展開がほとんど無くなっていて、あまりにもやる側、やられる側、という設定が作られた上で、予定調和に進み過ぎている。
一方的にいじめられっ子が、上から多数にやられて、やられるだけで終わるという種類の笑いは、僕はダウンタウンがテレビで本格的に始めたと思っているけど、ただダウンタウンがそれをやったときというのは、松本人志は大きな意味を持ってやっていたと思うんですよ、それが伝わっていたかは別にして、少なくとも著書とか読む限り、松ちゃんは意味をそこに見出していたし、松ちゃんは本質的にはいじめられっ子側に足をおいてる人だと思うから、その辺の覚悟だけは持っていた。ただそのダウンタウンが発表したその形を、いまの芸人さんやバラエティのスタッフは、形だけをなぞってしまったせいで、単なる教室の虐めのシーンの再現でしかないバラエティが増えてしまったようには思う。
「オイシイ」とか「空気を読め」という言葉の導入とかも、これはダウンタウンが自分たちの笑いを押し出す為に、積極的に広めたお笑い用語だと思うのですが、バラエティの現場で安易に使われすぎている状況も、これに拍車をかけているように思います。なんか上の立場の人が、自分の価値観ややりたいことを押し通す時に、便利な言葉として使いすぎていると思う、この辺のダウンタウンがある程度の思想込みで持ち込んだものを、上辺だけでなぞって真似している、いまのテレビバラエティの状況を悪くしている要因だとも思います。
ただやっぱり一番決定的なことは、いまのバラエティは板の上にリアルな人間関係持ち込み過ぎている、ということだと思います。時期的には吉本で言うとNSCの6期とか7期あたり以降の世代の芸人から、特に顕著な例だと思うのですが、芸人の間だけの上下関係、言ってしまえば楽屋裏の関係を舞台に持ち込むようになった、昔はいまのように極端にテレビとか舞台で、先輩後輩とかの上下関係を踏まえた絡みってしていなかったと思う、例外は欽ちゃんとか三枝さんぐらいですが、でもその欽ちゃんや三枝さんも、欽ちゃん以外、三枝さん以外の人たちは、少なくとも板の上、カメラの回っているところではかなり対等な横一線の扱いだった。
桂春之輔師匠が、「2時のワイドショー」で亡くなったミヤコ蝶々さんと共演していた頃に、番組開始時は蝶々さんを呼ぶときに、春之輔師匠は「蝶々先生」と先生という敬称を付けて呼んでいたら、番組にクレームが来たらしいです。要約すると「貴方からしたらミヤコ蝶々は“先生”かもしれないけど、テレビを見ている物にとっては“先生”でも何でもない、そんな楽屋裏の関係を板の上に持ち込むな」という内容だったらしく、春之輔師匠はその通りだと思って、次の収録からは「蝶々さん」と呼ぶようになったという話をされていたのですが、僕はこのクレームを言った人は正しいと思うし、うちの父親なんかもテレビでバラエティ番組を見ていたら、楽屋裏の人間関係を持ち込んでいるやり取りをしていると、怒っているときがあるから、やはりある程度世代が上の人から見たら、違和感があることなんだろうと思います。
僕は昔の師匠と弟子の頃の厳しい師弟関係があった頃よりも、いまのNSCを中心とした養成所で生まれた、先輩後輩の上下関係の方が、ある意味で厳しいものになっていると思っていて、所詮これまでは厳しいといっても文化系の上下関係だったのが、完全に体育会系のそれに変わってるし、これまではある意味、自分とこの一門の師匠や兄弟子、弟弟子といった一本、枝葉があってもそんなに沢山はないシンプルな関係だったのが、いまの養成所以降のお笑い芸人の上下関係って、枝葉が多岐に伸びてより複雑になっているし、所謂、体育会系のものだからどうしても板の上にまで、それが影響してきている。
僕はそれを一番感じるのは、最近のさんまさんと紳助さんの番組を見ていて思うのですが、最近のさんまさんの後輩芸人の弄り方とか、紳助さんの子飼いの芸人をはべらかして人間関係で進行するやり方っていうのは、昔はさんまさんはしていなかったし、紳助さんのそういう面はあまり受け入れられてなかったと思うのです。紳助さんって漫才コンビ解散以降から見ていっても、おそらく今が一番タレントとして売れていると、ここまで沢山全国放送の司会の番組でMCはやっていなかったと思うのですが、いま紳助さんが売れている、あとこんな事は言いたくないけど、石橋貴明さんが一時期バラエティの第一線から消えかけていたのに、復活したということは、やっぱれそれがいま求められている。
さんまさんにしても、昔のさんまさんってもっと後輩に対する接し方とか弄り方は、クールでしたよね、ヤンタンとかでは10年ぐらい前までは「吉本の後輩には興味がもてない」みたいなことを言っていた時期もあったのを、僕ははっきりと覚えているし、僕はさんまさんや紳助さん、石橋さんの若手に対する絡み方というのは、そうしたいからやっているというよりは、今の時代に合わせて選んで変えていったように思えます(紳助さんは時代が紳助さんのやりやすい方に行ったようにも思えますが)。
それは結局誰が求めていたかというと、先輩にはそういう上から押さえつけるような絡まれ方をした方が楽だという、後輩芸人の方の問題だと僕は思う、さんまさんとか紳助さんとか、石橋さん、浜田さんが相手だと凄い活き活きしているけど、これが後輩に対してもある程度イーブンな人間関係を持って接してくる、タモリさん、たけしさん、所さん、木梨さんに対しての方が、いまの若手芸人ってどう接して良いのか分からないって感じの戸惑いを示している人が、僕は多いように感じています。
それが良いのか悪いのかという話になると、やっぱり僕はにづかさんも最初から書かれているように、「学校の教室や部室のいじめ」を再現しているようなシーンを多々見せられて嫌というのもあるし、最近のバラエティでは実際に学校とかで真似出来るようなやり方やパターンのものも多いと思う、そして茶の間とか寝室で気楽にテレビ見ているときに、バラエテ番組でまで、そんなリアルな人間関係のやりとり見せられたくねえや、という気持ちには強くなりますね。
だからまずは浜田雅功石橋貴明で、ハナ肇銅像コントを復活させるべきだ(笑)。もちろん収録が終わったら直ぐに、後輩芸人が一斉に謝ったり、浜田さんや石橋さんがやり返したりする、楽屋裏の画は見せないで良い。まあ宮迫さんや千原さん、黒田さんぐらいから始めてくれても良いんですが、「S」とか「M」って言葉もさっきの「オイシイ」とか「空気を読め」同様に便利に使われすぎですよね。