「めちゃイケ」のイジメの構図

めちゃめちゃイケてるっ! : 一汁一菜絵日記帳

これはもう「めちゃイケ」世代以降というレッテルを貼ってしまって良いと、僕は思っていますが、僕は世代的に芸術家とか漫画家とか芸人は、反体制であるべきみたいな、プロトタイプな芸能論、芸術論には乗らないつもりでいるけど、お笑い芸人と言われる人には、少なくとも板の上、ブラウン管の中では、道中はどうあっても構わないから、結論は弱いものの味方であって欲しいと思っています。笑いとは音楽と同じ、いや音楽よりも極端に大胆に弱者が戦う為の武器であるべきだと思っている、考えている、いや信じています。
だから僕はこういうのは単純に、お笑いを冒涜していると、どうしても思ってしまうんですよね、また僕は今田さんや東野さんの頃から、天素の最初の頃ぐらいまでは、吉本の若手に熱中して見ていたんですが、天素の後半から「WACHAHCHA LIVE」の頃ぐらいに、物凄い勢いで醒めて、松竹のよゐこ、のイズ、DA-DA、T・K・Oの方に傾倒していて、僕は2丁目後半のWACHACHAブームは、全く見ていなかったと言っても差し支えなかったし、あと大阪ではあんまり見る機会がなかったから、僅かな期間だけど爆笑問題とかに流れた時期があったんですが、その時は理由が良く分かんなかったけど、いまから考えたらそれは凄いよく分かる。
結局あの頃から、吉本を中心として若手のお笑いというのが、体育会系の上下関係が前面に出てくるというか、もっと言うと、これまではいじめられっ子の味方だったお笑い芸人が、いじめっ子側の正義に寄りかかるようになってきたというのが感じられて、それが僕には元々好きだった雨上がり決死隊とか、元々そんなに好きでなかった千原兄弟とかに、凄い嫌悪感を抱くようになっていたというのは、いま思い返すと分かる。
僕はだからスタッフや作家とかだけの問題ではなく、いま芸人も含めて30代のバラエティ番組を作っている人たちが、全体的にいじめる側の原理で、バラエティ番組を作っていて、教室の再現といって、学校で良くあるタイプの虐めを再現しているのは、心の底から気分が悪いです。
僕はドリフターズひょうきん族とんねるずダウンタウンウッチャンナンチャンを一通り見ている世代ですが、この人たちが、全盛期にやっていた笑いというのは、一件虐めに近いシーンがあっても、虐められる側が何度も笑顔で立ち向かったり、やられる側の正義というのが必ず出てきていた。それはドリフにおいて、どんなに嫌な上司や父親役で出てきても、最終的に一番酷い目にあうのは、必ず年長のいかりやさんというドリフのコントであったりとか、タケチャンマンにどんなにやられても、いつも笑って立ち上がるブラックデビルを演じていると、当時いじめられっ子から沢山のファンレターを貰ったり、教育評論家から高い評価を受けたひょうきん族のさんまさんとかが、僕はもう年寄り、古い感性なのかも知れないけど、これが本当のお笑い芸人のあるべき姿だと、どうしても思ってしまう、もう刷り込まれてしまっているんですよ。
とんねるずウンナンダウンタウンも、一見同じように見えるかも知れないけど、とんねるずの目下苛めというのは、やり返される可能性というのを前提としたものだったと、少なくともある時期まではそうだったと思うし、内村さんや松本さんの作るコントや設定はいじめられる側にどこまでも優しい視点を、僕は少なくとも感じ取れていました。
だからいまの30代の芸人の、テレビお笑い、バラエティの主流が、いじめっ子側の論理になっているのは、僕は凄い嫌悪感があるし、本来あるべき姿ではないと思ってしまいますし、よゐこさんとかフットの岩尾さんとかが、異物的に扱われるバラエティが我慢して見てられない。僕はさんまさんとか鶴瓶さんとかの、一部の天才を除けば、15とか18とか22ぐらいまでは、どっちかというとつまんない人と思われていた人が、はじけてしまうというのがプロのお笑い芸人の正しい姿のような気がしてしまっています。
過去にも、いまと同じように学生時代はいじめられっ子側ではなかったような人も、沢山お笑いに参入していた筈なんですよ、というか、どちらかというとさんまさんや鶴瓶さんは、そっち側だったと思う、でもそういうのをきちんと昇華できていたけど、いまの人たちは何か学生時代の自分たちを、そのまま生で出してきているように思います。それがいま受けているのかも知れないけど、それってプロなの? ってどうしても思ってしまう。オタク芸人とかだけでなく、最近、文化人とかバラエティ慣れしていない役者さんのゲストとかを単に笑い者にするだけで終わるようなバラエティが凄く多いように感じますが、それって大人として他者に対するリスペクトという基本的な常識が欠けているだけなのではないでしょうか?
あと千原ジュニアさんは、どっちかというと、いじめられっ子側の人の筈なのに、大阪で売れ始めた頃から、一貫してピンもコンビもバラエティも、いじめっ子側の論理の笑いが多いのは、僕は不思議に思っています。いじめられっ子が主役の、視点が一貫して虐められている側の視点のネタでも、なんかいじめっ子側の論理というのが出てくるんですよねえ。
まあ僕はいじめっ子側、いじめられっ子側というのは抜きにしても、いまの「学校の教室や部室を再現」的な流れは、どうしても好きになれません。お笑いとは年長の大人、お兄さんが、子供や弱いモノに優しく生きる術や、ちょっとした悪さを教えてくれるものだと僕は信じています。いまのテレビお笑い、若手芸人の舞台は、どんなに笑いのレベルが高くなっても、その部分が根本的に枯れているしている気がしてならないです。