事の発端はやはりアノ騎手? : 馬い毎日

続き : 須田鷹雄の日常・非日常

NHKマイルCで有力馬の騎手が、レース後の共同記者会見などを拒否するのでは? という憶測というか、現実的に対応を迫られる協議をするようなことがあったそうです。この件については須田さんが出している情報などから、おそらくあの騎手だろうという推測は、ある程度の競馬ファンなら出来るようになっていますが、この騎手が長期の騎乗停止を食らった際に、須田さんが「個人の問題じゃなくて、JRA厩舎村全体の体質」にまで言及していましたが、その際に他の競馬ライターの人で、明らかに須田さんのその記述を意識した上で、「あれはあくまでも個人の問題で、厩舎社会にの体質の問題ではない、ほとんどが真面目な人たちだ」という意見をブログに書かれている方がいましたが、僕が思ったのは、騎手で不祥事とまではいかなくても揉め事を起こす人って、毎回同じような人たちの名前が出てくるじゃないですか、それはその手の噂が絶えない人というレベルでも、だからそれは一部の連中とは言えるかも知れないけど、僕は逆に思ったのは、なぜ毎度のように同じような人たちが繰り返して揉め事を起こすのか、厩舎社会にそういった連中に対して、不祥事を繰り返してはいけないという抑制能力が無いんじゃないかという気はします。
「一部の馬鹿が不祥事を起こしている」という所までは同意出来るけど、その“一部の馬鹿”が同じようなことを何度も繰り返してしまうというのは、その社会の責任何じゃないかなと思います。“一部の馬鹿”というのはどの業界にも一定比率いて、それなりに不祥事を起こしてはいるけど、事件が起きた後の自浄能力の無さというのは、確かに他と比べるとあるような気がして、それが何か揉め事起こした人が反省している色がないというのに繋がっている気がする。だって不祥事で騎乗停止とかになっても、すぐに乗り馬の数とか回復する人多いですもんね、厩舎社会全体が社会的制裁を与えるとか、反省を促すという構図があまり見えない。
あともう一方の意見として、「腕のある騎手は、腕の方が大事だから何やっても関係ない」とか、「反マスコミ、反JRAな騎手は格好良い」的な、尾崎イズムな考えをしている人たちという図式ですが、これは須田さんの言うように“田原事件”を思い出せ。という所に尽きるんじゃないでしょうか。
スター選手が御用マスコミ、御用ライターや取り巻きと一緒に、わがままを突っ走っているところを、ファンが格好良いと持てはやしたら、あまりよろしくないところに着地してしまうのは、競馬界だけでなく、色んな業界であったことですからね、去年のサッカー界にあった中田英寿引退における一連のものも、そういうことだったと思っています。
とりあえずマスコミが一匹狼とかアウトロー的に持ち上げるだけでなく、それがファン側にもあることを問題視している須田さんの意見はよく分かる、競馬に限らず、サッカーでもそうだし、マンガでもお笑いでも、ファンがプレイヤーに対して甘やかす傾向というのは、日本はあらゆるエンタメ業界で強くあると思います。ファンサービスしないのが格好良いとか、一流選手は社会性がない方が格好良いみたいなのは、あんまりプレイヤーを幸せにしないし、その業界の畑を痩せさせることに繋がりかねないと思う。
ファンサービスという面では、ナリタトップロードが現役の頃だから、もう五、六年前のことだと思うのですが、渡辺薫彦騎手が、誰かの怪我か病気で地方競馬の交流レースの騎乗依頼が、レース日直前ぐらいに来たけど、先約でファンサービスイベントの出演が同じ日に入っていたからと、騎乗依頼を断りたいと沖調教師ら相談したら、沖センセも理解を示して断ったということがあって、それを須田さんが絶賛していたのを覚えているんですが、今日こんな記事を読みました。

黒田博樹「スーパースターになるならカープで」 : 活字中毒R。

本題の黒田選手ではなく、大村選手のエピソードを読んでもらいたいんですが、やっぱり競馬好きで騎手になるっていうパターンはそうないから、ファンサービスとかが理解出来ないというのは、仕方ないところはあると思う。まして中央競馬はファンとの距離も騎手は遠いから、そういうファンあっての競馬みたいなのが培われないままに、中堅やベテランになってしまう騎手というのは、多いように思います。まあでもこれは騎手や野球選手だけでなく、結構色んなエンタメ業界で、その競技とか芸能事が元々好きで自分もプレイヤーを目指したというのって、少数派だったりするの多いから、その辺もどれだけその社会が、そういう意識を育てていけるかという事なんでしょうね。
なんかちょっと中途半端ですが、一旦この辺で綴じておきます。