宮崎勤の死刑判決に思う

動機が解明されなかったことなどについて、竹熊健太郎さんが、「動機の詮索なんかは最初から止めて、ただその者が成した行為の軽重において淡々と罪を決定すればいいのではないだろうか。」と書かれていますが、僕も基本的にこういう考えには賛成ですね。

例えばこういう記事を読んでいても思うんですが、彼の目的が「有名になること」であり、自分の発言や著作、画集などが宮崎勤の作品として世に出回ることが喜びなら、動機を解明しようとこれらに注目が集まることは狙い通りなんだろうなと思うし、命をかけてでも自分の著作を広めたかったら、同じ事をすれば良いと言うことにもなりかねないかなと思うこともあります。
まあそれは僕が動機の解明とか、犯人の更正とかではなく、この分野の犯罪においては冤罪の可能性がない限り、粛々と責任を取らせるということ、そして被害者と遺族の恨みを晴らすということだけしか求めていないということなんだろうなとも思いますが。
たけくまメモ