漫才の定義
南海キャンディーズや安田大サーカスは漫才じゃないという意見があるみたいだけど、僕はあれは漫才と呼ぶべきだと思う、漫才っていうのはそのぐらい何でもありだし、懐の深いモノだと思う。
昔は着物着て楽器持っていないと漫才じゃないって言われて、そこから色んな人がどんどん変えていったというか、自由度を高くしていって発展していったものなんだから、漫才の定義なんてものを狭く決めちゃうのは、エンタツアチャコ以来の勢い止まらない漫才というジャンルの成長を止めてしまうと思う。
だから僕はアンガールズもオオカミ少年もテツandトモもバッファロー吾郎もレム色もチョップリンもいつもここからもイシバシハザマもチャンバラトリオも横山ホットブラザーズもみんな漫才に入れて良いと思う、漫才ってそういうもんだよ。
「日本語で歌うロックはロックじゃない」っていうことを言いたくなる気持ちは否定しないけどね、でもそれを認めることで漫才はここまで発展して、オール巨人、中田カウス、島田紳助が「今の若手には自分たちはかなわない」というまでに発展したのは、漫才の持つ自由な魅力に沢山の人が惹き付けられているからこそ、色んな人が沢山集まって、才能ある人達が集い、それに熱狂するファンがこんなにいる状況を作ったわけなんだから、「漫才は自由だ!」で良いじゃん。
逆リンク:あぁ、そうですねぇ。私も同感ですねぇ。(マルチタレントへの道日記)