選手には期待できない

これはきむらずさんが今週のサカマガの田中誠の手記を読んでの感想でした。マコの手記についてはケットさんのBlogに紹介されているのでそちらをどうぞ。
きむらずさんの意図としては、「選手は自分の都合の良いように考えない」というもので、マコにはその辺の期待が大きかっただけにこういう表現になったと思いますが、これは僕は選手は客観的にチームの問題点を分析出来ないという意も含んでいるという風に取ったのですが、それは最近痛切に日本代表を見ていると感じるところです。
『独占ロング対談 稲本潤一×高木琢也 〜3年目のプレミア 歓喜と苦悩〜』という番組を見ていても、稲本は「ジーコになってから得点のチャンスが広がっている」と言ってましたし、中村やアレックスは自分の課題に気付いていないのか? と思うぐらい同じことを散々指摘されているし、宮本始めレギュラー組の選手は口を揃えて「チームの雰囲気は良い」とか「欧州組と国内組の壁なんてのはマスコミが作ったもの」と言っていて、自分なんかはレギュラー組はサブ組の気持ちを分かっていないのでは? と、ますますレギュラー組とサブ組の壁や温度差を感じてしまいます。
そして自分に自由が与えられていることだけで満足し、ジーコ大好きと公言するヒデ、やっぱり選手で自分で考えるサッカーなんてものには限界があり、そのあたりのコントロールという監督の仕事は極めて重要なものだということを改めて痛感させられます。
こんなことは日本代表の選手の問題なのでしょうか? 先のEUROやワールドカップチャンピオンズリーグを見るまでもなく、ヨーロッパのトップチームやサッカーネーションといわれる国の代表チームですら、監督のコントロール能力がなければ、選手はみんな自分勝手に、チームの抱える問題を客観的に見ることも出来ずに勝手に沈んでいってるじゃないですか、レアル・マドリードですらカマーチョのような鬼軍曹タイプの監督に頼っているのに、なぜ日本が中途半端な自由放任主義にチャレンジしないといけないのでしょうか。