空を飛べない天才たち 第3回

アホ♪アホ♪アホの坂田♪

第1回はこちら第2回はこちら。横断企画ですが、特にバトンが決まってるとかではありません、自由参加便乗企画です。

坂田利夫(さかた としお)
Aho-no sakata
1941年大阪に生まれる。本名は地神利夫。中学卒業からまもなく吉本新喜劇に入団、1968年1月に同じく吉本新喜劇の劇団員だった前田五郎漫才コンビコメディNo.1を結成した。

他の漫才コンビが驚くほどの練習量をこなし、コンビ結成から2年後の1970年に上方漫才大賞新人賞、1971年にNHK上方漫才コンテスト最優秀話術賞、1972年上方お笑い大賞金賞と、当時まだ出来たばかりだった関西放送局主催のお笑い・漫才大賞の新人賞を総なめにしていく。

その漫才のスタイルはツッコミの前田五郎が賢い知的なキャラに対し、坂田利夫が徹底的にアホキャラを通すというものであった、坂田利夫の徹底したアホキャラに対する役作りは『坂田利夫=アホ』という図式を確立していき、坂田利夫という芸名よりも『アホの坂田』というニックネームの方が浸透していった。

そんな『アホの坂田』の異名を一気に広めたのは、1972年に発売された、浪速のモーツアルトの異名を持つ作曲家キダ・タローの手による「アホの坂田」の歌が爆発的な大ヒットを記録し、関西各地の小学校で坂田という名字の子供が「アホの坂田」と呼ばれイジメられるという社会現象が問題となり、テレビ・ラジオでは放送禁止歌謡曲に指定され、ついには発売停止になってしまう。

今となってはそんなことでと思う声もありますが、しかし当時を知る人は、いま現在芸人をしているような人ですら『あれは仕方がない』と証言するほどの社会現象の大きさであった、実際にこの曲が街に流れなくなってからも、坂田という名字というだけであだ名が「アホ」になるという現象はその後10年近くに渡って続くことになる。

そんな社会現象を余所にして漫才師・コメディNo.1は1979年に上方漫才大賞を受賞し漫才界の頂点を極め、ベテラン芸人となっていった。

そんな坂田利夫に付いてきたのが、あの「アホ」が天然なのか芸として演じているものなのかということである。坂田利夫はプライベートでは物静かで服装や家のインテリアにも気を使いそのセンスも良く、女性の前では二枚目な性格が顔を出すという面があり、あの「アホ」は芸として極めたものであるという評価がある一方で、単純なイタズラにすぐ引っかかってしまうところや、本当に単純な詐欺にすぐ引っかかって借金を重ねていく所など、あの「アホ」は天然であるという評価も高く支持されている。

そんな坂田師匠の人間を知りえるところに「飛行機に乗れない」というところがある、その理由は『あんな大きいもんが空を飛ぶなんて理解出来ない』というもので、坂田師匠は鹿児島の営業であろうが、青森のロケでも、必ず他の芸人さんとは別に電車を乗り継いで前乗りしている。むろん海外ロケなどはもってのほかで、この飛行機嫌いによって吉本興業は割のいい仕事の多くを泣く泣く断っているという。

この一世一代のアホ芸人・坂田利夫が飛行機に乗ることが出来ないというのは、その本来は繊細な人間性の持ち主であるという側面と、いかにもアホっぽい理由の両方を見ることが出来る。

坂田師匠は現在62歳、36年目に入る漫才は円熟の極みであり、またテレビ番組においてそのアホキャラはいまも大阪はもちろん、東京のテレビ局からも貴重な『師匠なのにアホ』というキャラクターは重宝され続けている。まさにこの地上に唯一独尊の『アホの天才』それが坂田利夫という芸人である。

あー弱いなあ、というか物凄く時間かかった本文がつまんないなあ、正直出落ちにしかなってない、無茶苦茶反省です(笑)。
しかもgotanda6さんに対してしか出オチ効果がないように思いますし、時間の無駄だったかもというか、名前だけ出して、『アホの坂田』一言の方が良かったかな? と早速反省してみます(笑)。

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犬にかぶらせろ!:空を飛べない天才たち第3回

とりあえず肝心のgotanda6さんにウケるという目的は達成したようなので今回は成功と思うことにします(笑)。