ダバディさんとのやりとり その1・ナショナリズムとサッカー編

ライアン木靴さんあたりがよくまとまってるので、これだけ紹介しておさらばしようかなと思ってましたが、なんか噛み付いてきている人がいると教えられて見に行ったりして、正直、それはスルー出来るんですが(笑)、ダバディさんも返事くれたりまたしているし、id:Bacchus19:20040401 このあたりのお話しも面白かったのでやってみる気になりました。
まず今回の件は僕は「ナショナリズム vs コスモポリタニズム」的な対立軸にするつもりはなかったのに一部の人にそう読み取られてしまったこと、これは自分の文章力のなさもあるでしょうが、なんか別件のコア層云々の話しもそうなんだけど、何事においても「対立軸を煽っている」風に物事を取る人が、別に僕が関係していること以外でも感じることが多いんだよなあ、別にそんなつもりはないんですが。例えばさっきも某氏と『別に「女子供はスタジアムに来るな派」と「女子供が来れないスタジアムなどダメだ派」という意見って対立はしているけど、どっちが正しいって話しじゃないよね、どっちも正しいよね。』という話しをしていたのですが、これはまた違う機会にしないと、ただでさえ拡散している話しがもっと拡散しそうだ(笑)。
えーと僕はどっちかというと、ダバディさんの反ナショナリズム的な考えには、ナショナリズム的な思想で反発があるというよりは、ダバディさんはそういう考えを元に『そのうちワールドカップはなくなるだろう、ビッグクラブの方がお金もあっておもしろいサッカーをやっているんだから、世界クラブ選手権をやればいい、サッカーは無国籍な物になって行けばいい』という意見を度々展開していることに違和感を感じていました。
それってヨーロッパで、いまEUに統合して自分たちの国がもうすぐなくなっていこととかに直面している人達の勝手な意見だなという、政治的というか思想的な言い回しも出来ますが、それよりももっと低レベルにあえて話しを落とすと、『もう俺たち国家代表同士のサッカーの試合って飽きちゃった〜、これからのムーヴメントはクラブマッチがオシャレだぜベイベー』といってる欧州の人達がいる。
でもアジアとかアフリカとか北中米の人達というのは、それこそ昨日今日になって『ナショナルチームのサッカーの試合の面白さ』を知った人達に対して、『もうそれは時代遅れなんだよ』といってるのに違和感を感じています。
そしてそれは本当に世界にコスモポリタン的な思想が広がるのを妨げるのではないかと、ナショナリズムの定着からコスモポリタニズムへの移行というのがあったほうが、うまくそうなるんじゃないか、それは日本の戦後教育が立証して……なんて話しをし出すと長くなる拡散するまた勉強しろとか言われるので省略しますが(笑)。
とりあえず『国同士のサッカーの試合の愉しみ』というのを欧州人が世界に布教しておいて、自分たちがそれに飽きたり商売上の理由で止めたがるのは勝手だけど、お前達が広めた『国同士のサッカーの試合の愉しみ』がようやく浸透しかけてるアジアやアフリカの現状をもうちょっと顧みるべきではないかと思いました。
それはナショナリズムコスモポリタンの対立軸ではなく、『欧米の価値観は世界の価値観』的発想に着地し過ぎてるのではないかなと思った次第です。
あとこれに『代表、代表ってウザイんだよ』的なクラブサポの方が、これに乗っかって議論しているように思うのですが、それもちょっと違うんじゃないかなと思っています。ダバディさんがいってる『クラブ>代表論』は、多分、日本の(じゃない気がするけどね、どこの国でも)クラブサポの思っている『クラブ>代表論』とは向いてる方向が違うと思う。ダバディさんの言ってる『クラブ>代表論』はサッカーに対するナショナリズムの関与の否定だけど、クラブサポの方の全部とは言わないけど、ある程度多くの人は、『自分のナショナリティは国ではなくクラブにあり』って所だと思うから、一緒にするのは違う気がしました。
自分としてはナショナリズム云々の話しよりは、ナショナルチームの試合って楽しいやん、それをヨーロッパの人が自分たちの都合で、それはもう時代遅れといって取り上げようという世論を使うのは、その楽しみが最近理解しだしてきた多くの他文化の人達に失礼じゃないのかな? とか思うわけです。だから一部とはいえ『サッカーとナショナリズム』というテーマに話しを拡散させてしまったのは、僕の最初の書き方が拙かったとはいえ不本意でありましたし、本質と話しを遠ざけた議論を起こしてしまい申し訳ありません。
あとダバディさんは挑発ではない討論だとわざわざいっているのに、これを煽りの言説にしたり、対立を煽ったりするのはいささか辟易とします。正直、挑発や煽りを一つのコミュニケーション手段とされるのには抵抗があります。話せば分かる人っぽいから余計に、こういうきっかけで対立煽るのは、不毛感があります。
ちょっと長くなったので、テーマを分ける意味も込めて別項にします。
あっあとケットさんから『「バナキュラー」という言葉の使い方は自分の誤用である』という訂正があります。しかしケットさんの誤用が意図的なものであるのは原文を見ても、今回の説明を見ても明らかなので、謝る必要はないかなと思います。