お笑いファンなら東京ポッドの連中の妄言を許してはいけない
Twitter / 飯塚くん: これ言ってくれて良かったです。きちんとM-1を見てる ...
とりあえずお笑いファンからしてみたら、東京ポッドの連中が盗用だと大騒ぎしている論の中身は、政治に喩えると「菅政権の外交安保に対する取り組みは不安だ」とか「事業仕分けは政治ショーに過ぎない」というのと、同じレベルの一般論に過ぎないことばかりです。元々少しきちんとお笑い見て、ものを考えている人なら、誰でも思いついていることであり、多くの人がメディアで語っていたし、ブログなども含めてウェブで多く語られていた、お笑い業界では常識的な一般論に過ぎない。
だから盗用したとされている側が「分の悪い側の虚勢」を張っているとか言ってる人もいるようだけど、さっぱり理解できない。少なくとも私の周りではお笑いファンもプロの関係者も、オリジナルの論だとアレを主張しているのはハナで笑ってますよ。しかしよく見ていくと、東京ポッドの側に立ってる連中ってよくみると、アニメ会は好きだけど、お笑い全般にはそんなに興味ない連中ばっかりだよね。少しでもお笑いに詳しい人なら、あれをオリジナルの論とするのは、無理筋だというのは分かってるし、あんな誰でも思いつくことに、オリジナルを主張するような話法が、今後お笑い論座において横行するようなことがあると、お笑い語り業界全体がとてつもない被害を食らうことになりかねない。
これが「お笑い評論家・ラリー遠田による盗用事件」の真相です。 | プチ鹿島ブログ「俺のバカ」 - タスカプレミアム
正直、上から順番に見ていけば、どっちがまともな神経しているかなんて、一目瞭然のように思うんだけどなあ。あれはそのうち世間の全ての高学歴芸人や矢沢のモノマネする芸人を、俺達のパクリといいだすのも時間の問題だろ。っていうぐらいの切れっぷりですね。
そのぐらいに元の手数論にしても、松本・結婚論にしても、どっちもありふれてる色んな人が言ってるのと同じ事で、自分たちのオリジナル主張と言えるような物じゃない。市井のお笑い好きが誰でも語ってるようなことを、理屈付けて言い出したと言うだけで、自分たちのオリジナルと言い出すのは、それはアカデミズム(笑)の世界では正義なのかも知れないけど、論旨を最初にまとめた人が、その論について自分のオリジナルと主張してもいいなんて無茶苦茶、絶対に許しちゃおけないよなあ。アカデミズムなんていう、日本の極致の一部の人達の常識を、お笑いなんて言う大衆文化を語ることに持ち込ませてはいけない。
Twitter / 飯塚くん: ラリーさんの支持者は確実にいて、それが意見として出て ...
まあ一目瞭然だからこそ、ネットでは東京ポッド派が元気で、相手側の支持者というのが、みんな黙っているんだろうけどね、あいつらに絡まれたら物凄くややこしそうなのは、これ見ていたら分かるもん。どこまでも下品に戦える相手と、そうではない人の戦いにおいて、ネット世論が下品な戦い出来る方になびく向きがあるのは、この件に限らず情けない話だと思う。いまのネット世論の靡き方って、多少に無理筋でも煙を立てた方が有利に物事が運びすぎる。
とりあえず芸人とライターで、ライターの方が声がでかくて注目度が高いとか、こいつら自分らで言っていて恥ずかしくないのか? ネットで揉め事を盛り上げ種類のファンがいて、タレントとしての格的に下品な戦い方を躊躇しなくていいからといって、こんな芸人としてのプライドの欠片もない行為に振りきれるのは凄い。そりゃハチミツ次郎もこいつらと一緒にいたらダメだと思うはずだ。
とりあえず「手数論」については、自分たちのオリジナルだというのを、松本人志やラサール石井や渡辺正行やトミーズ雅の聞こえるところで、堂々と主張してもらいたいものですね、売れっ子ライターに盗用されて虐められてるとかいう物語を作っているけど、自分たちの方がよっぽど喧嘩の売りやすい相手を、上手に選んでるとしか思えないだろう。こんなんに騙されてる馬鹿も馬鹿だ。
オール阪神・巨人は若手っぽい漫才でした。 - 昨日の風はどんなのだっけ?
阪神巨人は例えば中田カウスボタンと比べても漫才からコント漫才に入るときの転換がはっきりしている。カウスボタンはどちらかというとコント設定に入ってもそんなに場面転換したという印象を与えずに素のトークの延長のような芝居をする、まあモノマネ達者な阪神巨人さんなので、はっきりと作ったキャラに入ったほうが手数が広がるんでしょうが。
ちなみにこれは2005年11月9日の僕のこのブログ記事よりです。
「ビーサンバトルBビーコード」baseよしもと - 昨日の風はどんなのだっけ?
ボケが小手先と言えば、ここもそうなのかも知れませんが、手数の多さとトップギアの高さが段違いで、何より漫才のテクニックがここに入ればやっぱり桁違いだったなと思った
そしてこちらは、2006年1月9日のブログ記事です。東京ポッドの連中がM-1の漫才と手数を絡める論を発明したとしている論を公開したのって、何年何月何日だったっけ?(笑)
M-1グランプリ決勝でスローテンポの漫才が苦戦する理由 - 昨日の風はどんなのだっけ?
ではM-1グランプリで、そういう漫才では結果が出ない、ファイナルの審査員に評価されない理由として、「4分という時間と、手数を重視する審査員の傾向だと、ハイテンポで畳みかける漫才が有利」と言われているけど、もう一つの大きな理由として、さらっと前に前に貪欲に出ていかないスローな漫才だと、明確に「ダウンタウンより上か下か」という基準が出来てしまう。
これは2008年6月21日ですが、これとですらどっちが先かという話じゃないの? 別にこっちが先だからと言って、オリジナルを主張するなんて、ふざけたことは一切僕はしませんけどね(笑)。松本・結婚論だって、僕は同じような内容を、これより以前に言いまくってるぞ。
こんな昔からある一般論を、自分たちのオリジナルと主張するような連中がはびこることは、お笑い界の未来を閉ざしてしまうことになりかねないし、こういうネットの炎上の方法論を利用した他者への攻撃を、事もあろうに芸人が仕掛けるというの品の問題もある。そんな連中の声がでかくなるきっかけを与えてはいけない。あんなもんにオリジナル主張される奴がデカイ顔しだしたら、凄いお笑い語り業界が窮屈になる。
ラリー遠田に関しては、僕とかにづかさんが前に言ってたようなことを、記事にしているなあということがゼロかというと、そんなことはないけど、その僕やにづかさんにしても、オリジナリティを主張できるものでもないし、僕だってラリー遠田が言ってたようなことをブログに書いてることだってあるから、そういう思いはお互い様なんだろうなと思ってる。むしろほぼ同じ世代で、同じような物を見てきた人が、同じような考えに行くことが自然だというのは、M-1予選とかでネタ被り、ボケ被りが満載なのを見たら、お笑いの中に身を置いてる人なら分かりそうなものじゃないでしょうか?
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- 過去記事:M-1グランプリ決勝でスローテンポの漫才が苦戦する理由
M-1戦国史 (メディアファクトリー新書) ラリー遠田 メディアファクトリー 2010-10-23 by G-Tools |