徳川宗家第18代当主・徳川恒孝
徳川恒孝 - Wikipedia
徳川宗家の当主として先祖の祭祀に多大な時間を割いている。正月でいうと、10日が5代目、24日が2代目、30日が11代目の命日にあたるため、墓所である上野寛永寺や芝増上寺に参らなければならない。家康の命日の4月17日には、静岡久能山の東照宮へ衣冠束帯に威儀を正して出かけて行く。月遅れの5月17日に、今度は日光の東照宮で同様の祭があり、ここにも衣冠束帯で出向く。その他、歴代将軍の側室など徳川宗家ゆかりの人々の墓には年末年始や盆にまとめて参る。会社勤めの傍ら、こうして月平均2-3日を先祖の供養に費やさねばならないため、その都度有給休暇を振り当て、個人的な休みを返上するなどの努力により時間をやりくりしていた[2]。
系図でみる近現代 第8回 徳川恒孝 会津松平家 秩父宮家 近衛家
恒孝氏は1963年、20代前半で当主に就任したものの、
サラリーマン生活で仕事が忙しく、
蔵の中の国民的遺産である“お宝”は全く手付かずの状態。
現在、その整理と徳川記念財団設立に向け、東奔西走の日々。
現代でお殿様やるのは、大変すぎる。
江戸の遺伝子―いまこそ見直されるべき日本人の知恵 by G-Tools |