福井晴敏先生の富野話と今風のアニメと富野作品の違い

久々に富野話と作劇論 - 〜ものかきの繰り言2009〜

福井晴敏先生が、ガンダムマニア批判や、リアルロボット教みたいになっている人を批判し出すと、「それは福井先生、あんただよ」みたいな感じになるのは、もうお約束事として認定して良いと思います。個人的にはトミノ作品って、富野さんのマッチョな部分とフェミな部分のバランスで出来ている、という風に最近思い出しているので、どちらか視点でしか見ない人は、それも間違いじゃないんだけど、それだけで語ると、なんか違う気がする。
「機動戦士Ζガンダム回顧録」で宇野さんも書いてるけど、富野監督はベルトーチカとか、カテジナみたいな女が、女の本質だと思っているところがあるし、その上でそういうのを正直に出す女を、富野監督は「いい女」だと思っている節があって、富野監督の女性観とか、あと女性にどう見られているかというのは、結構重要なことだと思うけど、少なくとも福井先生は、富野作品のそういう部分には、あんまり興味なさそうだよなあ。
GMSさんの今風のアニメと、富野作品を次のように比較して、『∀ガンダム』について語っています。

とはいうものの、今時のアニメ風に撮ったら多分ロランがハイム鉱山に馴染むまでに2話、とかになるのでしょうが(更に今時のアニメなら放映クールが短いので逆にもっと展開早いか?)、そういうのがまだるっこしくて、ある時期からアニメを見られなくなってしまった身としては、やはり富野演出のスピードは心地よいのですけれども。
開始5分足らずで主人公が裸で川流れして鉱山に拾われてなんかもう運転手になってるよ、というのが面倒くさくなくていい、と思うのはまあ、私が慣らされている所はあるのでしょうが(^^;

いまのアニメなら、主人公が鉱山に馴染むまでに、二話じゃ済まなさそうな気もする。七話ぐらいかかって、ようやく目的意識と仲間意識が芽生える。全26話、下手したら全13話作品なのにも関わらず、みたいなことはありそう(笑)。

90年代後半からのTVアニメーションが顕著に気持ち悪いのは、“オタクの観点による子供同士のねちっこい対立軸”が延々と描かれる事で、“どいつもこいつもコミュニケーション不全”なだけなのを、人間ドラマと勘違いしている事だと思うのですが、「クール」というよりは「単なる嫌なヤツ」な二枚目とか、「無垢」というよりも「白痴」なヒロイン、とかは未だにTV画面に出てくるのでありましょうか。

リヴァイアサン』とか放送していた時期は、新作のテレビアニメはもう見ないでいいやって、思い始めた頃ですね。

語ろうZガンダム!語ろうZガンダム!

語ろうシャア! 機動戦士ガンダム語録 ガンダムの常識 Z(ゼータ)ガンダム&ガンダムZZ(ダブルゼータ)編 土田晃之のガンダムにもの申す! (角川コミックス・エース) 機動戦士Zガンダム大全―電撃データコレクションTHE BEST (DENGEKI HOBBY BOOKS)

by G-Tools