そんなに芸人だけのやり取りや空気って神聖なものなのかな?

世界は数字で出来ている 麦芽・小出真保のモノマネは黒い?

僕はベッキーにしても、大沢あかねにしても、優香にしても、小池栄子にしても、テレビで見ていて鬱陶しく思うときは確かにあるけど、ただああい宇ポジションの女性タレントに、こういった仕事を求めるようになったのは、芸人側じゃねえの? という風に思うから、お笑い芸人が彼女たちに不満持つのは違う気がする。こういう仕事を出来なかったり、やろうとしない人を芸人さんが、バラエティが排除しようとするようになったから、こういう事を意識的にする人しか生き残れなかったわけじゃん。
現に例えば島田紳助大沢あかねを評価してるし、関根勤ベッキーを評価しているわけで、優香は志村けんの覚えがめでたい、なんかある世代より下の、お笑い芸人だけが特別な存在であるという自意識には、どうも僕自身もついていけないところがあるけど、いまのお笑いブームに少なからず反感持っている人も、そういう所が嫌がられてるんじゃないかなあ?
逸見政孝渡辺徹森口博子、今日の他のエントリーでも書いた研ナオコ、といった他ジャンルの人が活躍出来るバラエティの方が、芸人だけの空気でしか成り立たない番組より、僕は好きでしたし、いまでもそういう番組を望んでいます。日本のテレビバラエティの歴史は、決して芸人だけで作られたものじゃないよ、むしろ僕はお笑い芸人のお約束に安穏としている、伊集院や品川を見ている方が、コメント欄に書いている人と同様にイラっと来ることが多いです。
これがネタ番組なら、芸人だけでも全然構わないというか、むしろそっちの方が良いんだけどね。

つけっぱなしTVつけっぱなしTV
ラサール石井

笑いの現場―ひょうきん族前夜からM‐1まで (角川SSC新書)

by G-Tools