島田紳助のお笑いへの深い見識と愛を見る
「あ、カンペに清水新ネタを披露って書いてあるけど、やりたいわけないよな。つらいよな」と言ってくれた人気司会者 - 活字中毒R。
お笑い好きなら、この発言をした人気司会者が誰かというのを答えるのは容易ですよね(笑)、これをアピールと取って嫌らしさを見いだす人も多いかもしれないし、僕も格好付けすぎと思うところはあるけれど、島田紳助のお笑いや漫才に対する溢れる愛が本物なのは、彼の多くの発言や著作などを見ていけば、それは否定しようがないものだというのが分かります。
紳竜の研究 島田紳助、松本竜介 by G-Tools |
島田紳助がどんなにヤクザな酷い奴だというのが本当だとしても、お笑いを漫才をテレビバラエティを愛しているという一点だけは、しっかり大きく評価されるべきだと思う。芸人に優しいから厳しくもなる、愛し方を間違えるときもあるし、それが具現化して問題になることもあるけど、「それはそれ、これはこれ」で分けて評価していって良いはずです。
今日たまたまメールのやりとりで、最近の芸能人のブログ炎上などのバッシング事例を見ると、一つの事件や発言だけで、その人を全肯定するか、全否定するかの二択しかないという、二元論的になってしまうという話題に、話の流れでなったのですが、それは人物評価というのを誤ることになるし、何よりそんな二元論は面白くも何ともない。
島田紳助にしても、僕はタレントや芸人としての高い評価とは別に、例えば2004年に起こした事件についての謹慎は当然と思っているし、いま噂されている黒い交際が事実なら、それは著名人として社会的に問題があると思う、またM-1グランプリを作った功績と危機意識の高さを認めながらも、僕はここ数年の島田紳助のM-1での点数の付け方に納得していないし、否定的なポジションでいます。だけどそれが島田紳助のお笑いに対する大枠での姿勢や見識への評価とは、別問題として「それはそれ、これはこれ」で評価しています。
しかしこういうブログをやっていると、一度ある人を褒めたら、もうずっとその人に対して、ブログを書いている人が信者であるかのようなレッテルを貼られ、また逆にある人にダメ出したら、それをネタにして半永久的にその人へのアンチ扱いを受けるということは、いろんな所で見かけますが、一人の同じ人の違う言動や行動に対して、それぞれ違う評価になることなんてあって当然なのに、それが出来ない人、それをすることが許せないという、非常に狭量なところに陥って、安易な二元論でしか人を評価できなくなっている人が、このネット社会で増えている印象が強くしています。
別に好きだから褒める、けなしているから嫌い、ということは決してないですしね、好きじゃないけど褒めるところは褒めるとか、好きだからこそ苦言だらけで、他のファンの人から見たら、アンチにしか見えない意見ばかりになるなんて事は、大人が素直に感想を書いていたら、決して不思議ではないことでしょう。
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