ブログや個人サイトは歌謡ショーか? カラオケか?

なんか定期的に、それも凄い短い間隔で巻き起こる議題ですが、タイトルの二択は、「パブリックなものか? プライベートなものか?」という言い方でも良いと思うし、「ジャーナリズムか? そうではないか?」という言い方でも良い。

ブログとはカラオケである - しあわせのかたち

個人的には個人が趣味でやっているサイトは、自分の目に届く範囲の読者を対象にした、学級新聞のようなもんなんだし、一番の読者というのは自分なんだから、一番の読者である自分をまず楽しませて、次に視野に入る範囲の読者をある程度想定しておけばいいと思うし、実際に人気サイトとかの人でもそこまでしていない人は多いでしょう。自分と友達が二、三人ぐらいまで喜ばせればOKぐらいで書いていて、それが結果的に何千人とか何万人に見られることになったら、それはあくまでも結果と言うことで良いと思います。
これが商用サイトや有名人のブログ、また「アルファブロガー」みたいな立ち位置で、メディアや公演などで露出している人だと、さすがに「プライベートのカラオケが、たまたま世界中の人に聞かれてしまいました」というのは、さすがに僕も違うかなと思うけど、普通にブログとか個人サイトやっている人は、カラオケと思って良いと思う、自分が書いて気持ちよかったらOK、最初の読者である自分が読んで楽しかったらOK、ついでに周りの人がおもしろがってくれたら大成功、それより先は分からない。
ただそれより先に見られることがあるというのは、意識しなくても確かなことであるのは確かで、カラオケではあるんだけど、カラオケボックスではない、普通の個人サイトはカラオケのあるバーやスナックで唄う程度には人目があり、アクセスが多い有名サイトは街のカラオケ大会程度には、他人の目があり何か言われたりもするというものだと思う。

読みにくいBlogがWebから消えない理由 : WebとPCのメモ帳

僕もこのブログに関しては、リンクや引用のルールとか、文章の配置の仕方などについては、色々と変えてきてはいるけど、結局は自分の快・不快だけで色々と弄っているんですよね、それ以上でもそれ以下でもない。こちらのサイトでは改行について書かれているけど、こういうのも自分が書いていて気持ちいいか、読んで読みやすいという基準でやるしかないんですよね。
改行の少ない文章、句読点がやたら少ないというお叱りは、アンチな人からだけでなく友人からも受けるけど、自分が読み書きしていて一番気持ちいいのは、この書き方であり一番自分の喋り言葉に近いリズムが出ていると思っています。基本的に物書いてるより喋っている方が気持ちいい人だし、そっちのほうが多分自分の面白さが出ると思うから、なるべく自分の本来の語りに近い文章が書きたい。ただ関西弁の文章は書いていると疲れるので、そこだけは「大阪の人は書くと標準語になる」という法則を発動させて頂いてます(笑)。
句読点が少ない文章の方が、自分が書いていて気持ちいいし、自分のリズムが出るというのは、上岡龍太郎が昔に自分の文章が句読点が少ないという指摘を受けたときに、「僕は(句読点が少ない文章を書く)野坂昭如の文章に影響を受けているから」というのと、「僕の早口の関西弁の語りをそのまま文章にすると、句読点が入らなくなる」ということを言っていて、まあ上岡さんのことだから、どこまで理論的に考えて言ってるのか、その場で言っているのかは分かりませんが(笑)、その時の自分は凄い納得して、自分の文章見たら句読点が少なかった(笑)。
あと文章で言えば、僕は文章が下手だし、国語の一般教養に抜けているところもあるから、なるべく口語で書きたいと思っているし、文章的におかしいかもしけないし、醜いかもしれないけど、まあ別にこれきっかけにプロのライターになりたいなんて、これっぽちも思っていないので、口癖のような表現は、どんどん臆せず出していきたいと考えています。実際にある作家さんが言っていたけど、僕たちの日常会話って凄い日本語としては間違っているんですよね、だから対談原稿とかは校正者が、実際の発言を読みやすい文章に凄い直してから、本にしているけど、チャット対談とかを校正しないで出しているブログの対談記事とか読んでると、同じ言葉の繰り返しとか普通に多い。だから「1on1」という対談メールマガジンやっていた頃は、収録が数時間でも、校正が丸一日とかはざらで大変でしたよ(笑)。あれでも校正していたんだから、そのぐらい元のチャット生ログは、自分で読み返すのもしんどい物だった(笑)。
こっちのブログに関しては、「本当に」とかは、普通に喋っていたらみんな普通に多用している言葉だからなあ、あった方が交互の文章として自然じゃん? みたいな感じで、どんどんと行っています、というか「感じ」というのも多いなあ、「というか」も多いけど、この辺は自分が書いていてリズム付けるのに大事な言葉になっている。自分が口の中でだけど、喋りながら書いている人だというのも大きいんでしょうが。
デザインとかブログの技術的なことに関して言えば、快・不快で言えば不快の方が勝っている部分はあるけど、ただそれを改善しようとすると、別の不快というか疲れる要素が色々と出てしまう。
はてなで続けるにしても、デザインとかサイドバーの配置とかは、もっと色々と懲りたいという欲求はあるし、本当は独自のブログツールとかでやってみたいという気もするし、サイドバーやら広告みたいな形で出してるけど実はお遊びネタとか、カテゴリ別に話題を整理して別のブログっぽくするとか、いろんなやってみたいこと、現在のブログの状況への不満はあるけど、それをやると確実に自分の中で、いま話題の「なんとか疲れ」になってしまうのは間違いない、だからやらないということもあります。「書くよりも喋るのが好きなら、ブログではなく? ポットキャストをやれば?」という声もあるでしょうが、それをやらないのもこういった理由に近い。実際に個人サイト時代は、三日坊主を繰り返していたしね。

「なんとか疲れ」をしない方法 - タケルンバ卿日記

「楽しいからやる」「楽しくなかったらやらない」で良いと思うんだけど、日本人の真面目さ何でしょうか、どうして個人の楽しみでやっていることで、重荷にして溜め込んでいってしまうのか、「Mixi疲れ」とか「はてな疲れ」とかマスコミが作った言葉じゃないというのは、僕にとっては驚きでした。自分が楽しいからやる、楽なペースとやり方でやると言うことで良いじゃないでしょうか? 疲れでもやるというのは、生きていくために必要なことだけで良い。疲れても楽しいと思えないのなら、とっとと止めてしまうか、疲れない程度で済ませておくのが吉。

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内田樹 鈴木晶

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